高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

マルセル「稜線の路」48

2022-10-13 15:00:57 | 翻訳
159頁


第五場

ジェローム、ヴィオレット

(ジェローム) ひどいもんだ。

(ヴィオレット) あなたにはほんとに苦労するわ。

(ジェローム) きみは充分知ってるだろう、あいつを見るのは我慢ならないということを。きみが、ぼくがあいつを見ないでいいようにしてくれないのは、ぼくには理解できない。

(ヴィオレット) 仮にでも、あなたと会うことが彼にとって嬉しいとお思い?

(ジェローム) そんなこと、ぼくにはどうでもいい!

(ヴィオレット) つまり、あなたは思い遣りが全然無いと思うのよ。

(ジェローム) そうかも知れない。

(ヴィオレット) かなり重要なことよ。

(ジェローム) あれは全く軽蔑すべき御仁だとぼくが見做すのを妨げる何ものもない。

(ヴィオレット) ほんとに、どんな権利でそう思うのかしら。


160頁

(ジェローム) きみにたいする彼の行状については、二種の意見はありえない。

(ヴィオレット) わたしだけが、彼の行状を判断する資格があるわ。

(ジェローム) きみが彼にたいして、理解し難い寛大さを示しているからといって、そういう資格がある理由にはならないよ。 

(ヴィオレット) 彼がわたしを惹きつけようとも放棄しようともしていないことを、あなたはよく知ってるわ。

(ジェローム) 彼はきみのうぶさをもてあそんだんだよ。

(ヴィオレット) 彼は全然何ももてあそんだのではないわ。わたしのほうが彼よりも人生をもっとよく知っていたし。彼は子供だったし ― いまでも子供だわ。わたしが彼に身を委ねたのは、あなたはよく知っているけれど、無分別からではないわ… 分からないけど、我が身を守らないという欲求のようなもの、将来に配慮しないという欲求のようなものからだったのよ。何かの用心や、何かのもの惜しみは、わたしをいつもぞっとさせたから… 筋が通っていないかも知れないけれど。

(ジェローム、苦々しく。) それにしても、きみは、そのことを誇っているよ。

(ヴィオレット) それは違うわ、ジェローム。その行為でわたしは高慢な気持には全然ならないし。ああ! 恥ずかしいとも思わないわ。そんなことはないけれど、それにしても分からないのは、どのようにして彼を判断すべきか、ということよ。(つづく)


161頁

(つづき)でも、どんな結論に至っても、その点については何も教えてくれないでしょう。

(ジェローム) 何とまあ! ぼくは言うがね、きみが、この状況で、場を得ていない寛大さを示したのは…

(ヴィオレット) 何て言葉を使うの!

(ジェローム) ほかの言葉を思いつかないんだよ… 彼は二重に、拒否するしかなかった… 彼は立ち去るしかなかった…

(ヴィオレット) 立ち去る? どこへ? どうやって彼は生きてきたの? お芝居ではないのよ、ジェローム。生きることにおいては…

(ジェローム) どっちにしても、モニクが生まれたので彼はきみと結婚するしかなかったんだ。

(ヴィオレット) 誰が、わたしが同意したと、あなたに言った? おかしいわよ、自分の人生のなかで自分が何処にいるかも分からないあなた、森の中で迷ったみたいなあなたが、他人の人生を組み立て、そこに通りをつくって、土地や藪の中には何があるかとても予測出来るものではないことに気づかないなんて… それとも、あなた自身の内部の混乱を、あなたは判ってすらいないの?

(ジェローム、うつろに。) 彼女がぼくを窒息させる。

(ヴィオレット) それなら、あなたは思っていないのね… わたしたちは、生きるよう、宣告されているのよ、(つづく)


162頁

(つづき)夜のなかを。いかなる希望も無く歩むようにと。わたしたちは、しなければならないのではないかしら?… それを表現することはとても難しいけれど… まさにわたしたちの夜のなかで、わたしたちの絶望のなかで、人々を支えて照らす何かを見いだすことを。人々は自分たちが闇のなかに居ることさえ知らず、自分たちが絶望していることにさえ気づかないのよ。

(ジェローム) ぼくには、そういうすべては意味が空っぽだ。きみは、どのようにしてわれわれの夜が光から遠ざかるようにするつもりなんだい?

(ヴィオレット) もし、わたしたちがそれを認識すれば、ジェローム…

(ジェローム) もし、われわれが夜を認識していれば、それはもう夜ではないだろう。

(ヴィオレット) それは夜であっても、もう夜ではないわ…

(ジェローム) それをぼくは思想とは呼ばない。ぼくにとって、それはどんな経験にも対応しない。

(ヴィオレット) 経験は在るわ、それでも… 魂のすばらしい転調のようなものだわ… 回心というものは、多分、それとそんなに異なるものではないわ。

(ジェローム) アリアーヌなのかい? きみの頭にそんな突飛な考えを吹き込んだのは。

(ヴィオレット) アリアーヌ、あきらかにちがうわ。彼女の存在が、というなら、あり得るわ。


















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