でもね。
自分の脳って勝手で、相手のイメージが固定化しがちになるので・・・。
Aという人間は、ああいう奴だ。
Bという人間は、こういう奴だ。
とか
自分勝手にラベリングすることで。自分勝手が不味いならば、社内評価とか、第三者、第三機関の評価基準に任せて、相手の像というものラベリングすることで、相手の人間像を固定化しがちだと想う。
それほど、その相手と深く付き合う機会到来とはなかなか、いかないし・・・。
噂や社内評価などで、十人、人がいて8人の評価を信じ込んでしまうとか。
人間って、大体、自分や自分の家族以外の人であれば、他人だから、距離を置きたいもの。
他の評価を妄信して、相手を酷く罵倒しているとか、なかなか、気づきにくいもの。
社會って、矢張り、地位は大事で、それによって、相当、仮面を被らせて、相手の評価基準としてしまい、自分も安定した心持でいたいがために、相手への思いというか、その相手への心の冒険はなかなか、しない。
たとえば、草馬由仁子さんとは20年付き合ったが、ほんの彼の表面しか私は知り得ない。
だが、草馬氏という固定的なイメージはどうしても拭い去れないものが私にはある。
多分、草馬氏というのはこういう人なのだろうが、実は殆ど、的を射ていない。
それは、自分の父親だろうが、自分の母親だろうが、最期まで相手のことは全てどころか、ほんの一部でも両親の姿を掴めたら、御の字だということであろうね。
では・・・💕
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます