〈地割れせし中に傾く納屋の壁余震のたびに隙間の開く〉。
元日に地震が起きたとき、石川県羽咋市の三宅久子さん(69)は夫、娘と自宅にいた。2度目の激しい揺れは長く、納屋が半壊した。数日後に詠んだのがこの短歌だ。断水が続き、バケツでわき水をくんでいた
▼短歌や俳句には記録し、伝える力がある。だが、被災者として大きな厄災を詠む思いとはどういうものなのだろう。それが知りたくて三宅さんを訪ねた。地震後も短歌誌へ出詠を続けており、まっすぐな描写に魅力がある。長く小学校の教師を務め、短歌は退職後に始めたという
▼過疎化が進み、勤めた学校の一つが閉校した。校庭に桜の木が残ったが、今回の地震で崖下へ崩れ落ちた。
〈この春は寂しかるべし校庭の土砂に桜の根刮(ねこそ)ぎ崩る〉。
その桜が春、崩れたままで花を咲かせた。
「感動して泣きました」。
その心境も詠んだ
▼うれしいことがあれば浮き立つ気持ちが消えないうちに詠む。言葉を紡ぎながら、悲しみや苦労を乗り越える。この半年間、それを繰り返してきた。
〈ゆつくりと試運転なる列車行く直りしレールを噛(か)み締むるごと〉
▼思えば万葉集の時代から、人々は災害も病も戦いも、あらゆる出来事を詠んできた。残された言葉をたどり、私たちは当時の状況や心情に思いをはせられる。古今の歌人たちに感謝したい
▼傾いた納屋は解体が決まった。畑にはいま、夏野菜の葉が茂る。能登の優しい土で育ったキュウリをかじると、大きな音がした。
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