大正の時代、爵位のない初の首相となった原敬は「輿論(よろん)」を重んじた。それは世の人々の理性的な意見を指し、世のなかの気分や空気を表す「世論(せろん)」とは区別された。いまでは「世論(よろん)」に両方の意味が重なるが、それは戦後、「輿」が当用漢字から外れたためらしい
▼最近、そんな言葉に岸田首相が言及したと聞いて、おやっと思った。原敬にも触れ、自民党の勉強会で語ったそうだ。「輿論を重視した政治を日本の未来のためにも、そして国民のためにも進めていかなければならない」
▼全くもって同意する。ただ、素朴な疑問も頭をよぎる。とうの首相の言動は、輿論を重視しているといえるのだろうか。耳障りな異論は輿論に含めず、都合のよい声だけを聞いているように感じるからだ
▼国会では先週、抜け穴だらけの改正政治資金規正法が成立した。政治家の金の流れをもっと透明化すべきだとの国民の意見は、首相に届かなかったらしい。そんなのは感情論だと切り捨てられたということか
▼そもそも首相には国民の思いがどれだけ見えているのか。減税額だけを給与明細に明記させ、反発を招くとは考えなかったか。唐突に電気・ガス代を下げる補助を打ち出しても、小手先だけの人気取りといった冷めた反応が広がる
▼ときの風に流される政治は危ういが、世の人の感情を理解しない政治も恐ろしい。「いかなる政策を実行するにせよ、常に民意の存するところを考察すべし」。これもまた、平民宰相、原敬の言葉である。
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