詰まるところ、
人間を食してはならない
のは、飽くまで、人間教育の成果なのですね。
宗教に依っては、食人種という部族は確かにいらっしゃるので・・・。
我々が人(他者)に対して、疵付けることに躊躇する
というのは、
夙に、人間が人間を食してはいけない
ということに帰着するのですね。
何故なら、恐らく、宮崎勤元死刑囚はカニバリズムだったはずで、女児の死体を焼いて食しても、恐らく、死に対する恐怖はあったにせよ。
氏が食人を好んだというのは、人を疵付ける。強いては人を殺めることに対する、躊躇が見受けられなかったと推測されますので・・・
他者を疵付ける。即ち、自らが疵付く、惧れに帰着するのは、
最低でも保育教育で、宗教性の強い学童保育教育を受けていることが人格のコアとなる筈ですので・・・
では・・・💕
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます