大地震から明日で2週間が経とうとしています
今日も夕方に岩手県沖で5強の地震がありましたね・・・まだまだ余震も続いているし、
未だ安否が確認できない方が非常に多いことに心が痛みます
あの日、経験したことの無い大きく長い地震が起きたとき、
私は思わずデスク後ろのキャビネットを押さえていました
(今思えばそんなことしてる場合じゃなかった・・・押さえたおかげで倒れなかったけど)
その後ビルの避難場所へ移動、しばらくして交通機関が停止していることが分かり、早めの帰宅になりました
私たちが会社を出る頃にはすでにたくさんの帰宅者、それに従って歩き出したのですが・・・
その後私が見たのは、今まで見たことのない東京の情景
「非常袋」を背負っている人、ヘルメットをかぶっている人
自転車屋さんは人だかり、ABCマートも歩きやすい靴を求めた人でごったがえし(ほぼ女性)
常に渋滞で途切れることのない車道、なかなか前に進めない救急車のサイレンが響く
JRは早々に運転再開見込みなしと打ち出していたので、
通常は帰宅で多くの人が利用している駅のホームも、そこに止まっている電車も消灯されていて人の気配が全くない
新宿駅地下道には多くの帰宅困難な人たちが、
間に一人ふたりしか座れないほどの至近距離で壁際や階段に座り込んでいました
かわいそうだったのは地下道のトイレで見かけた卒業式だったらしい袴姿の女性と母親らしき二人・・・あの後どうしたでしょうか
電車がダメとなると、残った交通手段はタクシーとバス
でも見かけるタクシーは空車がなく、
バスはギュウギュウに乗っているし、そもそも渋滞で動かないので、バスとバスの間隔がものすごく狭くなっていました
(車数台後に次のバスがいたり)
トイレや休憩所としてスペースを開放していたビルもあり、社員さんが「休憩していってください!」と声をあげていました
他にも「トイレ利用可」と張り紙がしてある飲食店や
「FREE HUG」みたく「トイレ使ってください」と書いた紙を持って立っている人もいて・・・
利用はしなかったけれど、その心遣いがとてもありがたかったです
(飲み屋さんは意外と多くのお店が営業続けていて、帰宅をあきらめて?飲んでいる人も多かったように思います)
自宅付近のコンビニに立ち寄ると、お弁当類&パンがまったく無し
茫然とする私の隣にはカップ面をカゴにいっぱい入れている人が・・・買いだめはこの時にはすでに始まっていたんですね
喉が渇いていたのでパックのお茶を一本買って、ようやく自宅にたどり着いたのが23時
自宅は壊れたものも散乱もなく、まったく無事でした
良かったのは一人でなかったこと
同じ方向の同僚たちとテクテク、立ち寄りと食事を含めて自宅まで6時間半
途中で電車が復旧し3駅ほど乗ることができましたが、距離にして15キロ歩きました
もちろん一人でも帰れるけれど、誰かと一緒なのは心強かったです
携帯については、
地震が起きてすぐに妹たちからメールが届き、返事を送ろうとしたときにはすでに繋がりませんでした
もちろん電話もダメ、iモードにはアクセスすらできず
ワンセグは大丈夫だったけど電池消費を考えると長く見ることはできないので、
時々メールを確認、アクセスできるチャンスを見つけて無事メール送信
(受信はものすごく遅れてから届きました)
その夜に今度は長野県北部でも地震があり(緊急地震速報メールに慌ててテレビをつける)
我が家は震源地から遠いので無事でしたが、
新潟県境となると豪雪地帯だけに家屋倒壊等もあったようです
今は報道はほとんどされないだけに情報も乏しく、こちらはその後どうなのでしょうか・・・
買いだめが問題視され始めた先週は、
仕事帰りのスーパーにはすでにモノさえないか、スーパー自体が節電で閉まっていたけれど、
冷蔵庫や戸棚ににため込んでいる食料で間に合いました
(パン・お米・カップ麺・豆腐・パスタ・ヨーグルト・バナナ・トイレットペーパー・BOXティッシュ・生理用品等が常に品切れ状態でした)
そして今度は原発の放射能の影響で、
ミネラルウォーターがスーパーやコンビニ、屋外の自販機にまったく無し
しかしながら現在、有難いことに若干不便な程度でほぼ通常の生活を送ることができています
もちろん都内も節電しています
国道の街灯は最小限、電車の中も昼間は消灯&エアコンオフ、駅のエスカレーターも停止など
コンビニも看板消灯
不安はいっぱいあります
余震しかり、原発(放射能)しかり、電気不足しかり
いま、私が被災地の方々の直接お役に立てることはできませんが、
できること(節電、義援金、今後の備えをする、買い込まない、でも必要以上に自粛をしない)をしていきます
だから、私たちが協力しようにもどうすることもできない原発を、放射能をどうにか・・・!!
震災当時の東京の様子は帰れない人で溢れていて悲惨な状態になってましたね。
なんにしても無事であった事がなによりです。
私も出来ることをしようと救援物資の仕分けボランティアに参加してきました。
・・が、その日に筋肉痛で動けなくなってしまう情けなさ。
でも他にもできることはあると思うので、余裕をみて力になろうと思ってます!
復興にはまだまだ時間がかかるかもしれませんが
一日でもはやく、安心できて笑顔のある日常が戻ってくる日を願ってます。
地震直後の都内の様子って報道されていたんですね
(そういえば報道の車けっこう見ました)
徒歩帰宅の皆さん、とても秩序だっていましたよ。
落ち着いているというより、未曾有の経験にどう対応すればいいか分からず、とりあえず自宅に帰ろうという感じでした(少なくとも私は)
ヨーグルトとミネラルウォーターの2リットルが手に入らないくらいで、都内はほぼ平常です。
仕分けボランティアに行かれたんですね。
阪神を経験されている方たちは被災者の方のために何が必要か分かっていらっしゃるので、行動が早いと感じました。
今出来ることばかり考えていたけれど、復興のためには、これからできることも考えていかなければですね。