池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

事の最初が事の結果という不思議

2012年04月27日 | 私の仕事
仕事の段取りをどうしようか思案している朝一番に考えがまとまらないので
先ずはブログをアップする。
今日は連休前の月末でもあり、車も多く街中の渋滞に巻き込まれると効率が悪い。
できれば京都の街中での仕事は避けたいものである。

で、
これから記すのは最近の行動の事柄。

堆肥を大量に購入した。
先ずは発酵鶏糞、即効性が有る。



下画像は私が、以前から信頼をおいている完熟発酵堆肥だ。
じっくりと持続性が有る。



これを、先ずは耕した圃場に撒き、鋤き込んでいく。

1反当りの生育に欠かせない要素の成分比率は独自の《感》である。
元肥を大切に考えることで土の活性を高めてみたい。
要するに、寝心地の良いふかふかの布団で寝て熟睡して
疲れと病気の無い体ですくすくと育って欲しい。

少し精神と身体が微妙におかしくなりかけていた私がこの場所に住み着いて
結局、たどり着いたのが
今までの人脈を生かした販売先からの発注の基づく農産事業のスタートを切ったのが
つい最近であり、と、同時に行き着いた農産事業の起業スタートという
ゴールを切ることができた。

体が今しかたぶん動かないであろうし、あまりノロノロはできないが
先ずはどこまでできるかは分からないが行動してみよう!!!

先日、水利の共同作業で腰以上まで水に使って作業したことが
近隣の農家のお年寄りの中で少し英雄視されている様でもあり
人的関係も今のところスムーズで皆さん私の足らない部分を
色々とご指導も頂いている。
本当にありがたい。

今日、資材を運んでいると先日の共同作業のお礼を言いに来てくれた
婆さんとの会話が傑作で記してみよう。

婆さん    「先日はご苦労ハンどした。」
       
       「パンス(ツ)まで濡れてはったんとちゃいますか~~~
              ゴッツ濡れはってどうもおへんどしたか?」

私   ボケが通じるかと思い。股間を押さえて・・・・・
       「どうも無いか分からんのですわぁ~。」

婆さん    「はははははははぁ~~~使こぉうてはりまへんのどすか?」

私はボケたものの・・・・・・・・・・・・・・・・。無言。

後ろの爺さんも大爆笑である。

爺さん 「マダマダ若いのに勿体ノーおすな~~~~。」
                   の一言に致命傷を食らわされた。

ほっといて欲しい!のが私の本心である。
ボケを真剣に返されるとボケようが無い。


そんな私の行動範囲に有る地域の風景を映像表現されている映画が有る。
《古都》(公開は1963年だそうだ。)である。

古都   Trailer    岩下志麻


山口百恵さん主演のものよりも岩下志麻さんの方がしっくりと京都に馴染む気がする。
原作は、川端康成であるが京都人の本質的な気(裏と表・顔と腹)を感じる事はできない。
しかし、
映像からは四季の描写と運命的な人の行き方の岐路については充分に堪能する事ができよう。
この映画で表現されている街、山里の風景が今も現存している事も少し驚きに値する。
特に、西陣の風景や中川の風景は・・・・・・。
予告編にも有る雪の真っ直ぐ道も私はどこであるか分かる。

唯一違うことは、北山杉の山村は貧しくない。
苗子のような運命を持つ女子は居ない。

私の叔母からこの時の撮影の様子を聞いたことが有る。


調子が悪い

2012年04月22日 | 好きな日常
車の調子が悪く、先日は京都市内で加速がギクシャクして
全くスムーズに走れなくなり急遽ディーラに飛び込んだりもした。

今のところの加速不良の原因は、低速回転での失火。
プラグコードがどうも寿命のようだ。



で、

部品を発注するも既に在庫が無く、イタリヤ本国にもその在庫が無い。
普通なら困惑するところだが・・・・・・・。

何とかしようと奮起する。

この奮起し考える事も車遊びの愉しみの一つである。

実際に、プラグキャップやプラグコードに経年の劣化から目に見えない穴が有るようで、
シリンダーヘッドのプラグホールの側面へ高電圧がリークしスパークを飛ばしているのを確認した。
早速修理にかかる。
下画像は、不調の原因であろうと推測できるプラグコードとそのキャップ。



絶縁を行う為に用意した材料は下画像。
耐熱の絶縁テープ
(しかし、10KV~20KVもの高電圧に晒されるプラグキャップで絶縁効果は無いであろう。)
0.5mm厚のゴムテープ
(これをキャップに巻き付けてその上を何重にも耐熱絶縁テープで覆う。)
超安値の瞬間接着剤



で、
改良(ひょっとすると何の効果が無いかもしれない。)して完成したのが、下画像



同時に、吸気センサーの汚れやスロットル開度センサーの不良を疑っていたので、
全てのインテーク側のパイプをはずして確認し、清掃を行う。
その時、エアークリーナーの点検を行う為にボックスのカバーをあけようとしたのであるが・・・・・。
まあ、イタリヤ品質の驚くべき点でも有るが・・・・・・。
ボックスとボックスカバーを留めるボルトがボックス側に有るナットと供回りをしていて
カバーが開かない。
結局、ボックスASSYで取り出し、難渋してカバーを取り外し、
エアークリーナーを取り出す。

汚れすさまじく、使用限界である。



その、エアークリーナーを観察していて・・・・・・・。
ピンとひらめいた。
もっと、効率のよい方法で日常手軽に使い捨てができるように
改良してやろうと考えて、先ずは濾紙を取り除いて金網だけの状態にした。





池やんレーシング製・スーパーエアクリーナーASSYの完成である。



で、取り付けて乗ってみる。
不調よりはずっとまし。
アイドリング時の失火も少なくなった。
何よりも、排気ガスが通常の匂い。

もう少しスムーズのエンジンがつなぎよく回る為には故障原因は別に有るようにも思う。
が、しばらくはこのままで乗ってみる事にする。

吸気抵抗が少なくなったのか一気に加速する感じは依然よりもずっと強烈になった事は
特筆できる。
反面、少し、低回転での粘りと言うか・・・・・・・。
どうも、トルク感が薄い。

農産事業のブランド名を決めた!

2012年04月17日 | 野菜作りの事
先のブログでもお伝えしたが、やっと考えてきた事がまとまったので
本日、めでたく自己満足的にそのブランド名を決定した。
で、
発表をします。

《ヴァリレ・ベルデ  イィオ・ファッチョ・ヴィジタリ・シィクゥリ》
この語彙や意味するところに全く事業コンセプトや商品に付加する価値の意味は
背負わせていないようにブランドの名前を選定してみた。

ただこの頃の私の気分とすこし、私が他人に感じさせるイメージは?と考えた結果である。

《緑の樽》自信で考える自身のイメージはこんなであるように思う。

自分で自分の事が分かる事はその意識の有るときでのみ考える事ができる。
あたりまえだ。
では寝ている時、いったいその時はどうなっているのであろうか?
睡眠時の無意識とは、その時、感じてはいない。
今、自分は寝ていると言う事が認識は絶対にできない。
《私は寝ています。》とその時に感じる人がいるか?
寝入る前、目覚めた時にはその認識はできる。
未然形・又は過去形でのみ言葉にできる。
絶対に進行形では認識はできていない。

最近、
こんな事を気づいてしまったのも、養老猛さんの著書の冒頭で
私の頭脳を直撃するほどの衝撃を受けた事による。

私は、寝ているときの自分を知らない。

みなさん!自分で自分が寝ているのを知っていますか?

恐ろしいと思いませんか?
寝るのも勇気が要ります。

今日この頃だ。

Luciano Pavarotti - 'O sole mio

経営者としての資質

2012年04月15日 | 笑う事
年間に数回であるが落語会を訪問する。
この楽しさと深さを教えていただいたのは懇意にしている
某芸能事務所の役職の方だ。

以前所有していた小売店にも良くご訪問もくださり、
私の事業に付いてたいへん貴重なご意見も多く頂戴した。
本当に心から時は厳しく、私よりもずっとずっと多い経験から
物事の真理をお話いただくので、その時の私の不安定不浄な心にしみる
お話ばかりであった。

で、

その方の経営者の真髄を落語の話からお聞きした事が有る。
下記がその話。

【上方落語】  桂米朝  『百年目』


感動した事を思い出したので記す事にした。

ご無沙汰しているので、大阪・南森町の事務所を訪問する事にしよう!

新しい屋号について考える。→ 疲れる。 ←でもね、楽しい。

2012年04月14日 | 好きな日常
新しく農地を使用する事になってその地域の方からの連絡で、
農業用水の堰の整備を共同作業を行うと言う事なので現場へ出向いた。
初めてお会いする方達であったが気さくに接してくれてなぜか楽しい。

後ろに付いて川べりの狭い道を歩く。



取水する堰の有る川はこんな感じの谷川。
春の日差しの中で流れが美しい。



で、その堰に到着。
この堰をせき止めて水位を上げて側に有る用水の取り入れ口から
取水する仕組み。



で、角材を組み上げていきすぐに作業終了。
今年は水が多いようですぐに水位が上ってきて、ダムの完成。



私は川中に居てしばらく作業をしていたので、ご覧の有様。
股下まで濡れた。
でもなぜか心地が良い。



一昨日から農産について思考する日が続いている。
先ずは作物の選定。
小松菜・水菜を中心に品種を選定していく。
他の作物については・・・・・・・・・。(秘匿)



企てている事業についての屋号が無いのでそれも考えてみたが・・・・・・・。
少しこだわった名前をつけようと思えば思う程その文字と言葉は難しくなっていく。
おかげで一昨日の夜は明け方まで寝られなかった。
下記の6種には絞ってみたので有るが・・・・・・。
いかがなものであろうか。

persona onesta
personne honnête

buon raccolto
récolte riche

L'ovest dello stagno
L'ouest de l'étang

色々な呪縛を解き放ち、新しい事を創生するときの気分は爽快である。
水の濡れたズボンでも楽しく歩けてしまうから不思議なもんだ。

で、
今の気分は、
On the sunny side of the street


Grab your coat 
Get your hat
Leave your worries
On the doorstep
Just direct your feet
To the sunny side of the street

Don’t you hear the pitter-pat
And that happy tune is your step
Life can be so sweet
On the sunny side of the street

I used to walk in the shade
With those blues on parade
But I’m not afraid
This rover crossed over

If I never had a cent
I’d be as rich as Rockefeller
Gold dust at my feet
On the sunny side of the street

多くの歌手が歌っていたり、BIGBANDでも演奏されているスタンダードだが、
やはり雰囲気と楽しさは彼が一番だなぁ~

ルイ・アームストロング。

Louis Armstrong - On The Sunny Side Of The Street.





いぶし銀のアナログ人種

2012年04月11日 | 驚きました。
昨年、7月に山奥の現住所に引越しをしてきて、ADSLの回線を利用して
インターネット回線を使用している。
ガスも都市ガスではなくLPガスだ。
そのLPガスの使用量の検針はセンサーが行いその信号をADSL回線によって
集中管理されている所へ信号として送られていて毎月のガス料金の請求となるシステムを
本年1月半ばまで利用していた。
その検針システムに不具合がどうも有るようで、その検知器を設置した後から
全くスピードが上らなくて時にはADSL回線が中断されることも数迂回有ったりもして、
その度にモデム電源を落としてリセットを行い対処していたので有るが度重なる不具合に
NTT西日本の故障係が原因要素に気づき、1月半ばにその検針センサーを取り去ったところ
まともに作動するようになった。

念のためにNTT西日本が調査に来るしアドバイスをいただいたりしながらも
本当に良くやってくれたと感謝している。
だって屋内電話配線を引きなおし、モデムも新品に交換してくれた。

昨日、その検知器の仕業で有る事がLP供給者側の立会いの下、判明した。
自信満々で全国で普及しているこのシステムの不具合を私が指摘したことになる。
今まで全く現れていない症状らしい。
その検針機器の固体自体の故障ではなくシステムの不具合が起っている。
LP供給側の立会いしていた人の下でそのシステムにつなぐとすぐに
不具合が生じていた。

私にとっては困ったシステムである。

私自身は原因として考えている事があったがLP供給側の判断に任せる事にして
不具合を目の前で実証して見せてみた。

デジタル信号の曖昧なところがありながら白黒がはっきりする特製が
やっぱりどうしても私は好きになれない。

自身の経験として、某トラックメーカーの新型トラックに乗っている時に
交差点の右折待ち車線でいきなりT/M・SYSTEMと警告等が赤く点き
全くスタートできなくなった経験が有る。
この車もデジタル制御の電子制御のオートマチックトランスミッション車であった。

私の知人でも、某高級車(ドイツ製)を所有しているので有るが、
オーディオの一切と後窓のブラインドカーテンがいきなり作動しなくなったと聞く。
どこか配線が抜けているのかと思い探してみたが配線すら見つからなかったと言う。
で、長く治ってきていない様子だ。

人の知恵を越える機構はいかがなものか?とも思うときがこの頃有る。

未だに私が単純アナログが好きな由縁はデジタルの数式信号を解読するCPUの信頼性に
過信はいけないと言う事だ!と変な自信をも持つようになった。


黒澤元治 KPGC10 GT-R富士アタック


黒澤元治さんが今から約10年前に、スカイラインGTRを富士スピードウエイで
スポーツドライブしている。
御歳今年で72歳。
10年前に既に車歴は30年を越えているレースカーを復元した情熱もすごい。
3分10秒過ぎあたりでは4速でエンジンがオーバーレブっているようだ。
何よりも黒澤元治さんの技術が職人技ですばらしく見入ってしまった。
全く派手さがドリフトなんか無く無駄なくしっかりと路面を捕らえて走っている。
流れるように車の向きが変わるハンドルさばきとアクセルの踏み具合。
素早いクラッチとアクセルを相性良く繋げる事やすばやいシフトワークは見習う点が多い。
自然吸気のキャブレター車やミッション付きバイクをそこそこ走らせる事のできる方なら
ご理解いただけるであろうが、いきなりワイドにアクセルを開けても
エンジンは吹き上がってこない。
有効にエンジンの力を速さに結びつける為にはそのエンジンの美味しい回転のところで
次の加速の為に変速の必要が生まれるのは理解できようかと思うし、
競技をしていた方なら、カーブの入り口でのエンジンブレーキなどの減速の為の
使用観念は無く、出口までの姿勢の安定と速い脱出速度の為の準備で有る事は
理解できようかと思う。
もちろんこのことはファーストスポーツドライビングの基本である。

現在の、デジタル化された信号が渦巻く社会において、
その事象の結果をほぼ均一化された事象結果を生み出す。
良い事象に傾く結果なら良いが、先に記したが我が家で起った事象に関して
誰もが不思議がるばかりで明確な原因の結果追究には至っていない。
ただ結果としてその機器を使用しないことが最良の結果であるという事で
落ち着いたので有るが・・・・・・
即ち、結果の関しての因果が見えない。
修理もその為の準備計測も全てデジタル信号化されていて
修理・改善の方法すら均一的で没個性となっている。

私はそんなデジタル信号の特性や個性が全く未だに美味しくいただけていない。
かといって、身の回りにはデジタル信号を内蔵している機器が多くあるので、
それはそれで、有効に利用しているがやはり自身の個性を中心にして
物品を選んでいき、好みを表すと上記動画様の物事に好感が持ててしまう。
現在販売されている進化系GTRは私の感性ではない。
即ち、デジタル化された電化製品となってしまったスポーツカーは興味無く
欲しくは無いと言う事だ。
電化製品化された車は加速の為のスイッチがアクセルで、
止まるためのスイッチがブレーキであろうとも感じてしまう。
車を操ると言う言葉が消えて久しい。

偉そうに言っているが、先立つものが何よりも不足しています。

旅を終えて

2012年04月06日 | 変化した事
昨年の11月から本年3月末まで全国を回る事ができた。

目に映る多くを観察し又その地方の風土や空気や空を見て触れて聞いて匂いを感じる事によって
直に五感に感じるものが多くあった事は言うまでも無い。
また、その機会を平然と理解を示し、与えてくれた周りの人々の理解に
今はほんとうに心より感謝している。

昨年の今頃は、精神的にも肉体的にもたいそう辛くて実際に体も悪くした。
今も頭皮や額にその症状の痕跡が残っているのであるが、
少し疲れたり精神的に不安定になるとその皮膚炎が悪化をするが、
なぜかしらこの頃では、自身では気付きはしていないが私の思慮と別の場所で
私の深層部の本来の精神と情緒は安定し気分は安堵しているのであろうか?
その症状はひどくはなってきていないし、徐々に快方に向かっている気さえしている。



このブログへコメントを寄せる方からは色々と意見を頂戴したり、
近況についてお見舞いをいただいたり、
また反対に、私の行動にあきれた内容の文面が殆どである。
よってブログ上で公開できる文面も私が選択し、私に都合良く心地よい文面だけに
特化している事を批判のコメントを寄せていただいた方にはお詫び申し上げます。
「ごめんなさい。」
先日、《旅を終わるに当たって何が見えましたか?そんなあなたの事が淋しい。》との
コメントをいただいた。そもそも何かを求め欲する事の無い旅であったので、
何かを得たという実感が無い。
ただ、《以前の池やん》ではないことをご理解いただきたく思う。

断る事のできない《面倒見の良い池やん》から、
見返りや報酬など求めない無欲で生きる、自分の本質の人に換われたのかもしれない。



私自身、この全国を回ってやろうという発想の根源は全く自身からそうしようと
考えたのではなく、《必然的にせざるを得ない状況になったからスタートをした。》と
言うのがふさわしい言葉の表現であろうと考えている。



旅の始まりのきっかけは一本の電話を山科区にかけたところから始まっている。
その先で出会った人たちがあり、その人たちの中に混ざる事にあって
自身の生きる方法に無感情で無欲で全く無抵抗で流れるままに
流れに逆らわず、波間に浮かんで風が吹けば風下へ行き、雨が降ればずぶ濡れになるのも
又、楽しい暮らし方や生き方じゃないだろうか?という発想から必然的に旅の機会に
巡り会えたと言えよう。

不思議なもので、もがいて懸命に仕事をしている時よりも、
言われるままの仕事をそれなりにこなしていて、ある時はまったくそっちのけにして
旅三昧の生活をしている間に取り巻きの人脈もまた以前よりも増えたようだ。
いつもヒキツッタ顔で対人に閉鎖的な心情の鍵が外れたので、
他人様は垣根の扉が明け易く、その垣根の高さが低くなったからであろう。



さて、旅を終了して今後についてであるが、
約10年前に別事業を立ち上げようとしてあまりにも忙しくて挫折した、
農産事業とその産品を使用した加工事業を企てている。
昨年に少しだけ試験的にやってみたのであるが流通先や卸市場の評価は高かった。
昨年7月から京都市の過疎地の山村に住んで何も考えないで暫くはボーッとしていたのであるが、
人の為や利益の為にではなく、素直に大地に挑戦してみたく思い行動を開始した。
自己利益は考えにない。

やはり、同じ所にじっとしていられない性格は残っている。

しかし、だが、

【今までの自分とは決別・さようならができた。】


旅立ちの唄 -Mr.Children (Photo Slideshow)



気ままに生きているように外から見えて,実際そのように自身で思っていても、
成るがままに万物の力に押し流され、引力に引き付けられていて、
渦巻きでグルグル回転しながら目が回って生きるのも、たいそう決断と勇気がいるもんだなぁ~と
この頃では感じていたりしているが・・・・・・。

次の旅立ちは、死出の旅までしないつもりでいる。
次の旅立ちは、当たり前だが燃料片道。
行きっぱなしの片道切符です。



その旅立ちの出発地も下調べは済んでいる。すばらしいところである。

にこやかに笑みを浮かべて、
「私は大人ですから、怒りません、憎みません、恨みません、悲しくないので泣きません。」
と言って、思い残す事無く旅立ちたい。

悲劇の舞台を見る   (JR大山口駅東方の600M)

2012年04月03日 | 昔の事
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E5%88%97%E8%BB%8A%E7%A9%BA%E8%A5%B2%E4%BA%8B%E4%BB%B6
を参照していただきたい。

JR大山口駅から東方(即ち鳥取方面へ)線路沿いに車を走らセてその現場を見てみたいと思っていた。
途中村落の本当に車一台の幅でしかない道をとおり、
狭い踏切を渡り線路の北側に出ると
一人の老婆が乳母車を押して歩いているので声を掛けてみてその場所を知った。
この老婆はその日のことを鮮明に覚えていると言っていた。

村落内の狭い道をすぐに通り抜けると舗装された農道に出て右手を見ると線路をまたぐ形で橋が架かっていた。
その橋はまさしく、切通しをまたぐ橋でその下に悲劇の場所が有る。
老婆から聞いた《銃弾跡の有る水の作り物》がこの線路の下に埋設されていて
こちら側と向こう側とに水をくぐらせるサイホンの筒である。

この場所で起きたことは下の動画のとおり。











Mustangs over Japan 1945


鎮魂の気持ちで立ちつくす。

火の国から (帰り道で涙する。)

2012年04月02日 | 愛する人
阿蘇道の駅で少しの渋滞を避けるための時間調整をした。
で、午後7時の出発で門司を目指すが、国道57号を熊本まで戻るのではなく
国道212号で日田を目指し、国道211号飯塚を目指そうと計画していたが国道211号のどこかで
その国道211号から逸れてしまい名も知らない駅に出た《JR彦山駅》。
でも、北九州という道路標識に従い県道であろうかそれをトレースして北上する。
結果、国道322号に出て田川を経てすばやく門司に到着。

で、

関門トンネル入り口左側のお定まりのファミレス・ジョイフルで遅めの夕食。
すぐにスタートするがライトが暗い、左のロービームが球切れ。
かまわず、国道2号を東へ向かうが小郡手前で眠気に襲われギブアップ。
仮眠するつもりが朝8時半までで熟睡。

計画通りに帰りは国道9号線で京都を目指す事にした。



津和野の手前での京都までの距離表示である。
540キロメートル。
走り続けると14時間。ごっつ遠い。



しかしながら、左に日本海を見ながらの帰路は最高である。
でも、夜は走りたくない道。この景色が見えないうえに轍(わだち)の深さと
急に現れる段差に気を許せない道でもあり
なんせ人気(ひとけ)や人家が少ない。



手足を伸ばしたく待避所に車を停めて軽く膝腰のストレッチをした。
ぱきぱきと気持ちが良く同じ姿勢でいる運転席からの開放感浸り
久々にタバコに火をつけた。
相変わらずに昨日からの風は強く波も高いがとび来る砂と
少しの飛沫がこれまた新鮮に感じる。



なぜか記憶に有る大山口の駅。
早々と思い立ち寄ってみた。
この事は又後日に記す事にしよう。

長渕剛 名曲!12色のクレパス(Tsuyoshi Nagabuchi)


ドライブ中は私の場合当然運転に集中しているが、朧に脳内の別の場所で思考回路が
動いていてその思考が集中し結実する事ではなく、ただ廻りに集まり存在しているだけの時が多い。
この脳内の思考しているかしていないかが自身で分からない状態の裏返しが、
偶に新しい感動や悲観から一喜一憂している時が有る。
子供の頃から泣き虫であった私は、すべてのことに感情移入をしてしまう癖が有るようで
感情の起伏の高低差が激しいように自身で感じていてはいるので有るが・・・・・。

今回の国道9号線は・・・・・・・。

京都に続く国道にその通う人々や物資を運ぶ人たちの感情に同化してしまい
また、昨日の阿蘇での出来事を振り返り自然に涙がこぼれてしまった。

何の理由も無いのに涙する。悲しくも楽しくも怒りすらないのに
何の訳も無いのに感情が高ぶって涙する。

自身が所有する真理に対する考えと周りの不条理を容認せざるを得ない不条理と
自身が持っている薄っぺらな優しさが真理の形ではなく不条理であった事に気付くと
たまらなく淋しさが込み上げてくるのが常である。

そんな年齢になったのであろうか?

火の国で  (阿蘇に感動する。)

2012年04月02日 | 愛する人
少しの徘徊の時間を得て満足できた私はお勧めもあり、阿蘇カルデラが一望できる
《大観峰》へ向かう事にした。

絶景に感動する。
併せてそんな絶景に絶句。



風がたいそうきつい中、絶句して展望していると後ろから、
「涅槃像ってごぞんじですか?」

「お釈迦様の横たわる姿に見えませんか?」

「頭と耳がギザギザで、肩があの斜面・・・・。」との問いかけに答えて私・・・・・・・

「お釈迦様はどこでねはんねやろ?」

関西人爆発である。

「オヤジギャグと言うやつですか?」と素で返答されてしまった。





この思い出にはことさら強烈な印象が残るほどの強風の中、その風景に長く見とれていた。
目に入るその風景は強い風をも気にしないで漫然と眺めていると前方後方を含めた四方周りの
美しい山岳の曲線は火山地帯の中に立っていながらにしても
モーツアルトのクラリネット協奏曲のような柔らかい旋律を脳内響かせてくれる。
坂本冬実さんの《火の国の女》ではない。

Mozart Clarinet Concerto, Karl Leister - II. Adagio


途中、美味しいと評判のケーキ屋さんで久々のケーキらしいケーキを食す。
最近ではファミレスの冷凍ものしか食べた記憶が無く、
その食感が独特で新鮮で美味しい。





ここも次回は必ず訪れなければいけない。


火の国へ (往復1750kmの長距離ドライブ)

2012年04月02日 | 愛する人
全国をこのブログでも記しているが旅をする私にとって、
人生最大の区切りとしての終了の旅をどこにするかを考えていた。
その決断をさせた一つの些細な機会があって熊本は阿蘇に旅立つ事にした。
今後の私の生きていくうえでも疲れた体でありながらもその方と会わなければいけないという
直感もその時働いていたのは事実な事である。

で、

京都を29日の午後4時にスタートした。
愛車の青フィアットのハンドルと共に長い片道800km。
国道2号線をひた走り山陽道備前ICから鴨方ICまで。
以前笑顔の素敵な店員さんの居る丸亀製麺の釜揚げうどんを先ずは目指す。
で到着。
覚えていてくれて感激する。
温まった体を狭い車内にもぐりこませて又国道を西へ向かうが眠気が襲うので
ままよと東広島を越えて志和ICから又山陽道を使用するが・・・・・・。
限界!宮島SAで仮眠を取る。
外は冷たくきつい雨。
寒さで目が覚めたら午前6時前。すぐにスタート!雨の中をこれでもかという
捕まるぞ的な速度ですっ飛ばしてみた。
で、前日に燃料満タンから670キロメートル目を待たずして燃料残量が少なくなり
警告等を灯した。
仕方なく小月ICで山陽道と別れて長府で給油。
12km/L!なかなか飛ばしてきた割には燃費が伸びている。

関門橋を経由すると高速道の使用料金が割高になるのでここからは国道2号線で
関門トンネルを経由した。
で、
この時点で阿蘇神社の待ち合わせの午前10時には間に合いそうに無い。
九州道に門司ICから上がり、熊本ICを目指す。
だが、古賀SAで事故渋滞。
ピクリとも動かない車列。
現場に到達してみると、大型車が本線とサービスエリヤを分かつ分離帯と
入線路表示の標識等をなぎ倒して刺さっている。
当然キャビンはぐちゃぐちゃ。
居眠りか?
そこからは記す事のできないスピードで走る。阿蘇IC到着が午前10時前。
国道57号線は流れもスムーズで瞬く間に、阿蘇外輪山を蹴破る峠坂道を
一気に登り阿蘇のカルデラの中に到着した。
待ち合わせの方に連絡を取っていたので安心して遅れる事を了解する返事に安堵し、
先ずは風呂に入りたいと思いだしていた。

第一村牛・発見!!!!!!!!



驚きで有るが、湧き水のこんな形がである。
いたるところで噴出していては、このように自由に汲める様になっている。
触ろうと思ったが怖いぐらいの勢いで噴出していて
少し近寄りがたい水の力も感じていた。



湧き出る量はすごいの一言である。
決してポンプで汲み上げているようではない。水が自噴しているので有る。
それがいたるところに有る。畑の中であったりはたまた道端であったり、
村落の集会所脇に有ったりもする。
そして気づいた事がもう一つ。
火除けの神様を奉る所が多く有る。これは火山被害の昔人の願いの場所。



内牧温泉と言う標識に従いその道を行くと温泉街に到着したので有るが・・・・・・。
外湯が見当たらない。
そこかしことぐるぐると回っていると、《薬師温泉》と言う公衆浴場を発見する。
すかさず入場。番台も無く扉を開けると即脱衣所。
その扉をあける脇の窓越しに¥200を払い入場する。
気合が入るぐらいにほほを殴る春の嵐風である。
湯はぬるめ。少し不満。しかしカケ流し。とうとうと流れ出ている。
そのぬるめのお湯は長時入っていると段々と熱さを感じるようになってきた。
不思議だ。
風がきついが良く晴れている。その風も少し疲れた体と温まった体には心地が良い。




内村温泉・薬師温泉ですっかり疲れを落とせたと感じる。
阿蘇神社に向かう。予定より1時間30分遅れでの到着となった。
ソワソワして落ち着きを無くしてしまった事に加えて
阿蘇神社の写真を忘れてしまい、今ではその感想や風景すらも脳内のどこかで
消し去ってしまったようだ。
その後、食事(阿蘇赤牛の料理)をしたのであるが・・・・・・・・。
美味しいと言う味覚は残っているがその表現を書けという事になると
その記憶は曖昧である。



何の特徴も無い風景であるがその広々感は国道57号泉から少しわき道に逸れると
この阿蘇ではいたる所がこの光景のような気がする。
カーブミラーとその先に広がる田畑と草原。
そのカーブミラーもこう見てみるとどこか風情が有るように思うのだが
いかがなものであろうか?
黒に白縞の小鳥のツガイが戯れ、近く離れずに居るのが微笑ましい。



浦部雅美 - ふるさとは春です


この地域は昔は街道の宿場町であったと説明を受けた。
肥後の殿様が江戸へ上る時はこの街道を使用したそうである。
上画像に有る様の今では見かけなくなった地元の食料品店があったりもする。
私はこのような風景や街並みに触れる事がひじょうに癒しになる。
子供の頃、大阪の街中で育った私は西区立売堀の日生市場に母や親戚の叔母ちゃんに
良く連れられて行った。
その光景がよみがえる。
スーパーのような形式ではなく全てが対面店舗販売の市場。
コロッケ一つを買ってもらえた満足が今でも忘れられない。
その思い出とこの街はシンクロする。