阪神・淡路大震災から20年も経過し、とても20年前とは思えない気持ちです。
震災発生当日、災害救助犬・富山の緊急連絡網で招集がかかりました。
翌朝、一路神戸に向けて出発し、途中の情報で道路の混雑状況を知り、急きょ大津サービスエリヤで
給油中の愛知県消防レスキュー合同部隊に頼み込み、神戸ほど近くまで隊列の間に入れてもらい、
夕方5:00過ぎに神戸に到着しました。
翌日から、大阪や他府県のレスキュー部隊とともに救助活動を行い、主として東灘区周辺で活動しました。
残念ながら、活動開始が遅れたため、発見できた皆さんはすべて亡くなられた人たちでした。
初動の速さが生命の生存を決める...そんな思いを確かにしました。
神戸市役所旧建物横にある公園の隅でテントを張って宿泊したり、活動中の余震の大きさと音にびっくりしたり
なかなか味わえぬ経験をいたしました。
わずか5日間の探索活動でしたが、災害救助犬が本当に役立つものであると実感しました。
先日のTVでもドラマで放映されていましたが、通常死者を発見するという訓練は行えないので、反応した犬が
ご遺体の匂いを嗅ぎだしぐるぐるその場で回り始めるなども、初めての経験でした。
現場にいなければこのような壮絶な体験はできません。
被災された皆さんは、そんな中で毎日を恐怖とストレスに包まれ生活しなければいけなかったことを考えると
本当に大変だったと思います。
地元に戻る途中の高速道路運転中、無線で「おい、蛇行運転してるぞ」と告げられ、急きょ用賀サービスエリヤで
休憩・入浴し、先導隊より遅れて富山に戻りました。
地元の商工会議所青年部の集まりで、「どんな支援を行えばよいか」という課題に、真っ先に「自転車を贈ろう」と
提案し、まとまった数の自転車を贈りました。
20年前の遠い出来事ですが、決して忘れることのできない経験の一つです。
東日本大震災の時も同様な被害、それに加えて津波被害で多くの尊い命が犠牲になりました。
もうすぐ4年を数えますが、ちゃんと動いてくれない行政にへきえきしている方もまだ多くいるかと思います。
被災地は地獄....。自分の身に降りかからなければわからないでしょうね。
震災発生当日、災害救助犬・富山の緊急連絡網で招集がかかりました。
翌朝、一路神戸に向けて出発し、途中の情報で道路の混雑状況を知り、急きょ大津サービスエリヤで
給油中の愛知県消防レスキュー合同部隊に頼み込み、神戸ほど近くまで隊列の間に入れてもらい、
夕方5:00過ぎに神戸に到着しました。
翌日から、大阪や他府県のレスキュー部隊とともに救助活動を行い、主として東灘区周辺で活動しました。
残念ながら、活動開始が遅れたため、発見できた皆さんはすべて亡くなられた人たちでした。
初動の速さが生命の生存を決める...そんな思いを確かにしました。
神戸市役所旧建物横にある公園の隅でテントを張って宿泊したり、活動中の余震の大きさと音にびっくりしたり
なかなか味わえぬ経験をいたしました。
わずか5日間の探索活動でしたが、災害救助犬が本当に役立つものであると実感しました。
先日のTVでもドラマで放映されていましたが、通常死者を発見するという訓練は行えないので、反応した犬が
ご遺体の匂いを嗅ぎだしぐるぐるその場で回り始めるなども、初めての経験でした。
現場にいなければこのような壮絶な体験はできません。
被災された皆さんは、そんな中で毎日を恐怖とストレスに包まれ生活しなければいけなかったことを考えると
本当に大変だったと思います。
地元に戻る途中の高速道路運転中、無線で「おい、蛇行運転してるぞ」と告げられ、急きょ用賀サービスエリヤで
休憩・入浴し、先導隊より遅れて富山に戻りました。
地元の商工会議所青年部の集まりで、「どんな支援を行えばよいか」という課題に、真っ先に「自転車を贈ろう」と
提案し、まとまった数の自転車を贈りました。
20年前の遠い出来事ですが、決して忘れることのできない経験の一つです。
東日本大震災の時も同様な被害、それに加えて津波被害で多くの尊い命が犠牲になりました。
もうすぐ4年を数えますが、ちゃんと動いてくれない行政にへきえきしている方もまだ多くいるかと思います。
被災地は地獄....。自分の身に降りかからなければわからないでしょうね。
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