古~いノートを見て、やなせたかしさんの詩をさっき載せた。
また、前にも同じようなのを載せたんだけど
この文章を見たら、そのまま載せたい!と思った(*´~`*)
自ら光る者となれ
ベンジャミン・フランクリンは、「使われる鍵は常に光っている」
と言っているが、人間もまた使われることによって光りを放つのである。
人に使われることを嫌うのは自分が自主的であり得ないと思い、自由が束縛されると思うからであるが、それは自分と他人についての認識が充分でないために生ずる誤解である。
吾々の魂は人から使われることによって急速なる発展をとげるのである。吾々は先ず気持ちよく人に使われなければならない。
そこから偉大なる人生の展望がはじまるのである。
気持ちよく人に使われる者はやがて、気持ちよく人を使う人間に生長する。
吾々の魂は遂次発展して次第に自主的になり始めるのである。
今まで人から使われていた人間が、やがて自主的に自ら働く人間になる。それは偉大なる魂の進歩であると言うことができるのである。「使われていた鍵」が、「自ら動き出す鍵」となるのは、いわば「無生物」から「生物」への一大飛躍であり、それは「生命の復活」である。