今日、公照は三歳になります。
『子どもは三歳までに一生分の親孝行をする』といいますが、本当にその通りだなと感じています。今の私の想いを聞いてくれますか?
公照が私のお腹にきてくれたときから激しいつわりで妊娠初期から命の重みや存在を感じることができました。妊娠後期になってもつわりが落ち着くことはなく点滴や漢方薬に頼る毎日。お腹の中では逆子の位置が居心地良かったらしく、経膣分娩が難しく予定帝王切開による出産をすることになりました。
3年前の今頃、朝から帝王切開の手術の予定なので病院に入院していたのですが、つわりで一晩中ベッドとトイレを行き来していました。つわりは辛いものでしたが、あと数時間で赤ちゃんに会えるという喜びで泣きながら吐いていたのを覚えています。
出産後まもなく帝王切開の傷が悪化し、卒乳まで薬が使えず、痛みで飛び起きてしまう夜が毎日続きましたが、隣で眠る公照を見ていると傷の痛みも耐えることができました。
仁照を妊娠してからは公照に辛い思いをさせてしまい自分を責めることが増えました。
マイペースながらも離乳食を完了し、大人と同じ食事が少しずつ出来るようになり、子どもが嫌いな人参やピーマンも食べてくれていたのに、つわりで寝込むことが増え、ちゃんとした食事をつくることが出来ず、好き嫌いが激しくなってしまいました。
仁照のときのつわりは公照のときより酷く、逆流性食道炎を併発し、食べたものはおろか胃酸や血を吐くことが多く、ほとんど寝込んでいたため、出掛けたり遊んだりすることはおろかまともに会話することが出来ず、言葉の遅れも出てきてしまいました。
仁照を出産してからは、気をつけていたつもりでもなにかと公照に我慢させてしまうことが増えたように思います。
初めての子育てはとても不安でした。仁照を産んでも不安はつのるばかり。
しかし、仁照の出産で里帰りをさせてもらい、両親が公照や仁照の面倒をみてくれる姿を見て「あぁ、私はこうやって愛されて育ててもらったんだ」と感じる機会が沢山ありました。子育ての不安が安心に変わる瞬間でもありました。
今の時期は戦争の話を色んなところで目に耳にします。公照の誕生日を迎えるたびに命について考えさせられます。公照が今後どのような人生を歩むのか私にはわかりません。ただ私が願い、行動するのは公照の命を、そして仁照の命を守るということ。
昨夜、寝かしつけているときに不思議なことがありました。あと少しで寝るかなというとき「きみちゃん、ママに会いたかったの」と私を抱きしめてきたんです。『子どもは母親を選んで生まれてくる』という話を思い出し「ママもきみちゃんに会えて嬉しいよ。生まれてきてくれてありがとう」と抱きしめ返しました。「あちゅいよ~」としかめっ面されちゃいましたが。
子ども達が起きたらまたバタバタと慌ただしい一日が始まります。可愛い寝顔を見ながら今の気持ちを書き残しておきたいと思いました。
さて。今日はどんな一日になるのかな?