さて、この「着物コレクション10年史」のカテゴリーもラストまできましたよん
44歳はまさに術後の私としてのスタートだった。乳がんオペから10日後に44歳の誕生日がきて、翌日退院。
前にも書いたかもしれないけど、心の表面に薄皮1枚ぶん、自分の為に麻酔うっているような感覚の中過ごしていた頃。
周りはね、とりあえずケモも終り、全摘で全て取れた!良かった!!っていうテンションなのよね。今思えば、その周りもきっとそうすることで気持ちを鼓舞させて彼なりに支えることの辛さ、私を見つめる辛さを緩和させていたのかもしれないと・・・・・切なくもなるのだけど・・・・・
でも、その頃は、そんな事も思い至らず、周囲の安堵感とは逆に私の気持ちは宙ぶらりんのまま、マヒしていたなぁ。泣くことも上手にできない感じだった。
それが、どっとわきでたのが、何と!!その退院から約1カ月後のお正月元旦。この日のきものはね、お正月らしく華やかな訪問着だったから、帯も袋帯の重たいものでね、いつも自分一人でさっさと着れるのに、帯を持ちあげられなかったの。そもそも、そこまで行きつく、仕度の段階からへとへとしていたんだけど、最後の段階、イヨっと、帯を上げることができなくてね。そこで、何かが切れたように、私は子供のように泣いた。
きっとね、癌と死、そんな怖さの他に、急激に変わっていく自分、例えば、身体の体力、胸そのもの、髪の毛がなかったり、それが「老い」を感じることでもあり、その変化を受け入れるのに戸惑っていたとい事でもあるのかな。
結局、ダンナッチが手伝ってくれて、それでも着物着て、顔を直して・・・・・・・辛い元旦にはしたくなくって、私の為にというよりは彼のためにね。
そんな風に書くと、何だか凄い哀愁のお点前でしょ~~でもね、気持を「無」にするのに、このお点前って以外といいのよ。(あくまで軽くするレベルかなぁ)、ちゃんとしようと思うと身体には以外としんどいところもあるんだな~~。
何とか、お化粧も直し、お茶室にて新年のパチリ この頃のブログには、泣いた事なんて書かないで、元気に新年を迎えたよいに書いていたけど、その前には涙があったのだ~~。泣き年になるのが嫌だったから書かなかったの。
ついでに、細かい事書けば、健側の手が浮腫んでいたの。腫れてるのわかるかなぁ~~?
なんでも術側をかばい過ぎたのと、点滴とかのストレス?みたいな事で、レントゲンの結果と指の腫れ具合から骨萎縮とかって近所の整形の先生にいわれて熱療法に通っていたんだけど・・・・・何だったのか・・・?
今は戻ってます!でも、指は病気以降太くなった。これは、更年期なのかしらね~。いやだ、いやだ。こういう事を受け入れるのに時間がかかるのよね。そんな年頃に癌になってしまったのね。
話もどすけど、そんなこんなで、出かける頃にはすっかり夜になってしまっているんだけど・・・・元旦はいつもお外で食事が我が家。この年も例外ではないのだけど、それでも景色が違って見えていたのかしらね・・・・・・
この写真の雰囲気って、まさに戸惑いのリコちゃんって感じ、と思うわん
44歳は、ずっと胸の無い私。とても不自由で無防備で・・・・だけど不思議で貴重な年だった。失ってみて見えてくるものって、沢山ある。失った胸の向うに沢山の「初めて」をみた。
そんな44歳もおわり、45歳になった私には再び胸が帰ってきた。前の自分そのものではないけど、私の延長にある新しいアタシ。
この身体で、これからまたどんな着物を纏っていこうかなぁ
PS
術後1カ月はそもそも着物着るってこと自体無茶よね。帯、普通の人でも自分で締められない人が多い中、私はたいしたもんよ!
で、今は、普通に帯も締められます。可動域という問題はないかなぁ~。ただ、帯締める時だるいってのは、やっぱ少しはしょうがないわね。
これは、リンパ浮腫との関係というよりも、普通に、右側だけはさすがにちょっとはダメージ受けてるって事の意味です。
この暑いさなか、冬の風景の写真をアップしてしまった~~