Rikoの再建日記~気ままな恋文

病期3の乳がんから自家組織再建、リンパ浮腫治療、抗がん剤後の薄毛治療など、心身共に毎日が昨日からの再建って感じの日々♪

昔の写真

2024年03月09日 20時48分00秒 | 母親のこと
今はスマホで気軽にほいほいいくらでも写真をとれる、もし、私に突然何かがあっても遺影を考えるのに、さてどれにしようかな~と迷わせるくらいある。

だけど、母が突然に亡くなったあの18年夏の日、私は彼女の遺影写真を探すのすら困った。

何枚かの写真の中で、
誰かと遊びに行った時に撮られたであろう写真が、1番私の記憶の最後にある彼女に近かった。多分80歳前の頃かな、、





この写真が今でもフレームの中で収まっている。

次の2枚は私が生まれる前の若かりし頃の彼女。





上の木陰でポーズ取ってるのはなんか子供の頃に見たことある記憶あり。
これだけのポーズを恥ずかしげもなくとってるんだから、誰かちょっとした人のモデルになったとか、、、ま、いずれにしても、私はまさにこの人の娘、DNAが写真のとられかたから分かる(笑)

着物で抱いている子供は兄だと思う。私と兄は年子だから、私はまだお腹の中くらいか、誕生してどこかで眠っていたのかな?

ま、こんなボロボロに写真がなっているのは何故か?
また、
そのボロボロなのに、彼女の財布にあったこの2枚。1枚目は若かりし自分自慢かなって思うけど、
ちぎれたこの写真は、、、
何故大切に財布にいれていたのか?

ま、謎なんだけど、私なりにはなんとなくは分かる。

彼女なりに、この2枚は幸せな記憶なんじゃないかな。

せっかく母の事をカテゴリー分けて作っているから、写真も改めて入れておこ。

今年は7回忌。





誕生日番外編、母の事

2022年12月01日 18時10分30秒 | 母親のこと

「このままでは自己破産するしか…」高級食パン「乃が美」運営会社にフランチャイズ店オーナー有志が“要望書”を提出 | 文春オンライン

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誕生日番外編。

わたしは、ここのパンを食べた事ないけど、パンのみで上場しようとは、IPOで入った資金を期限目一杯で売り抜ける気かね?って感じしか漂わないな。芳ばしいパンのかおりはどこえやら?というかんじ。

なぜ、これが誕生日番外編で急遽アップしようとなったかというと、わたしも、ここではないけど、ちょっとフランチャイズを考えた時あった。だけど、フランチャイズはよっぽどの条件吟味しないと不利益な事の方が多いかなと、辞めた。
自分が暖簾分け的にフランチャイズを作った方がまだ楽やん。


未だ私は仕事らしき事して、会社を残してのろのろ慎重運転してる。

ふとね、誕生日だからか、そんな事から、母を思いだした。
(嵐大野くんはいつも、お母さん生んでくれてありがと~が誕生日の決まりセリフ)
でね、話し戻し、

わたしの母も、事業するのが大好き、しかも私よりなん倍も規模が大きく夢も計画もデカい人。

彼女が、事業を膨らまそうとした50才のとき、わたしは、大反対で、しまいには、ののしりさえした。
昔アタマで、失敗したらどうする気?私をあてにしないでよ!たのむから、大人しくゆっくりした生活しててよ!と50才の彼女に言った。
が、辞めるわけもなく、彼女が今の私の歳、57才の時にはバリバリ仕事大成させていた。

その頃は私の方がまったくの昔アタマでアホね。

そしてね、血はあらそえないのか、DNAなのか、50からが商売人の血が騒ぐやないの!なんておもってる今、もし私にワタシを止める娘がいたら、やはり絶縁かな(笑)私が宿泊施設始めたのは50歳。

そんなことをおもいだした、この、のがみの記事だった。


57歳だった母へ。
靭公園のバラ。

花より商売のあなたも、今は花くらい愛でるのか?


2022/07/01

2022年07月01日 22時37分32秒 | 母親のこと
今日は母の命日。

4年前になるんだな。でも私が彼女の死を知ったのは今日ではなく、この先2週間後の事。

あの年の夏もうだるような暑さの中、東京、大阪間を何度か往復した記憶。

とても苦しい夏だった記憶。

あれから、私も世の中もまた色々変わり、そして、彼女は新しい私の家にきた。

ま、つまりはようやく、引っ越しのかたづけもほぼ目処がつき、写真なんか飾る事ができた日は、彼女の命日だったのよ。



タペストリーも取り付け完了。
偶然か我が家の親達は夏にみんな逝っている。

私の母
相方の父親
相方の育ての母
相方の生みの母

の順番。

義父母はお墓が一緒だからお墓参りで。なので、私の母と相方の生みの母の写真だけ、7月8月は飾って花も欠かさないでいたいなーと、それを今年、この家からの行事にしようと今日決めた。

母が生きてるときは、本当になんの優しい言葉もかけず、また、それをさして必要としない力をもったまま生き抜いた人だった。

きっと、向こうでも豪快にわが道を旅しているのかね。

健気に花なんか飾っちゃってるわたしは、ずっと追い越せないな。これが正しい親子なのかなと思ったりする。

ま、
とにかく、片付いて良かった〜 
ようやく、
夏花、一番したかった宗旦木槿を買いにいける感じだよ。

あとね、前から飾っていたお皿もそのまま飾りできたけど、別のコーナーにやはり飾りたいお皿あるんだ〜


こんな感じの横長。

絵柄が可愛くて嫌味じゃないの。

4年前の私は、こんな今日を想像してたかな?いや、想像とか未来とか、そんな事が人生から失った夏だった。後悔だけの苦しい夏だった。けど、傷は癒えてそして修復し、さらに強くなるもんだなと思うね。

さ、暑さにマケズ、ひと夏を楽しむか✨👯







季節を越えて

2018年10月30日 00時15分57秒 | 母親のこと
夏の始まりの暑い暑い7月に逝った由良子さんは、穏やかな秋晴れの今日、29日

向こうの世界での名前をもらい、無事一連の儀式や手続きが一段落した。

季節を越えて、私はようやくからだのなかにうずいていた慟哭の岩を吐き出したような気がする。

住職のずっしりした声が身体の奥に響き、一気に押し上げられた。

涙が、溢れた。

なんだかとても疲れた。

きっと私はこの4ヶ月、ずっと緊張していたのかな。


✨✨✨✨✨✨✨✨✨

ホテルに戻り、一息入れて食べた食事

隣にはスマホ忘れたけど、無事に東京入りした旦那っち。





ふたりだね。

頑張って身体のために、ダイエットしよー。



アクが強い人達

2018年09月14日 02時57分13秒 | 母親のこと
由良子
坊主


まったくどいつもこいつもアクが強くてクセが強くて本当に本当に嫌になる
商売人というのはどこまで駆け引きするんだろう
そもそも由良子さんがここに兄を連れてきた時から相当色々と駆け引きをしたみたいで住職さんは鮮明に彼女のことを覚えていた 。
兄も49で突然の死亡だったこともあるかもしれないが、ま、由良子さんのアクの強さっていうところでしょう。
そこへ乗り込んだ私と夫。夫は関西人のやはり性と言うか商売人と言うか 坊主は坊主で やはり坊主の性なのだろうか由良子は由良子で やはり彼女の性なのだろうか
こんなんで人を成仏させることができるのだろうかと思うほど火花がバチバチ駆け引きがバチバチ ひとり の命の 終わりは 新たな 仏の 人生への 始まりなのか
何かと大金が動くな そんなこんなでちょっと疲れてしまった お互い個になればなかなか魅力的な人なんだけれどもね まともなのは私ぐらいなんちゃう(笑)

ふー



戒名をつけてもらうさい、
故人の長所、短所や趣味など情報を教えて下さいといわるた。

長所はよく働くこれに尽きるそれと真っ直ぐな人、パワフル、ポジティブ 、
これ長所だけど裏を返せば短所でもある。人の話を聞かない猪突猛進型、ポジティブなのは 空気読めない そんなところであろうか。つまりは働き者ということだけが純粋な長所になるのかなあなどと思いながら 答えていた 私は実にまともだと思う
(笑)

さて、どんな戒名ができることやら、、、

疲れた(ー_ー;)



東京滞在

2018年09月12日 14時38分10秒 | 母親のこと
DNA鑑定が一致したため、初めて由良子さんのみのまわりのものを引き渡してもらった。

なかなか、その中から残すものはさいしょうにして、あとは整理するという作業は精神的にタフでなければしんどいなー

中でも、
遺体がはめていた指輪は、これだけは、普通のおたきあげではなく、ちゃんと供養してもらい、可能ならば遺骨の中にいれてあげたいと思う。

携帯電話関係は悩むところだなぁ。


そんなんで、先ずは体力。

東京は寒い。

久しぶりに浅草今半でほこほこすき焼きたべた。




ここはかわらないなー
個室に椅子が置かれてからははじめて。




右上の大理石芋というのがおいしかった。





さて、今日はユニクロではおりものかって、マッサージいって、体力温存で、引き続き整理整頓。

お別れ

2018年09月10日 02時17分41秒 | 母親のこと
夜が明けたら母を東京へ連れて行く 。
不思議なもので3人で行くのに新幹線代はふたりぶん 。
それが遺骨というものなのかな だけど魂はあると思っているのにね 、他の人にはわからないよね。

不思議なひと夏を経験しました 、生きてる間ではきっとこんなふうに いろんなことを話したり彼女のことを思うことはなかったと思う 。

彼女の死に様を見て 私も彼女の人生に対して 敬意を 抱くようになった ということもあるし 彼女の人生を不幸なものと考えることは 死に方だけでは決して決める ことはできない ましてや私という娘がきちんと骨を拾って 無縁仏に はしないでいるのだから
、、、
そして骨になってからようやく 彼女は幸せな人生だったと 心から思えるようになったこと 何より今の私が幸せに生きているということ この二つで十分彼女は恵まれた、価値ある人生の主人公だったと思う。 何も苦しむこともなく誰にも迷惑もかけず あっけなく逝ってしまった 彼女 ひと夏一緒に暮らして 明日はもうさよならの日 ちょっと寂しいね不思議だね骨なのにね 毎日 どんなお花を飾ろうか 何をお供えしようか 考えるのが 楽しかったよ これからは東京に行く意味もちょっとだけ変わってくるかもしれない 。
私の 生まれ育った故郷である東京に あなたと兄が眠っていると思うと、それはある種の 里帰りだね。

由良子さん、
みんながあなたを立派だといってくれたよ。
もし、わたしが何年か介護をすることになったり、だれかに頼んでいたとしても、よわっていく由良子さんにわたしは優しい言葉もかけられず自分を嫌ったでしょう。

早く発見できなかったことを最初は悔やみ自責の念からやり場のない苦しみがあったけど、今は自分を責めないし、あたなにも感謝してる。

私の家からさようならだね。

今の寂しい気持ちは、純粋な寂しさ。

気持ちがほぐれていくようなあたたかな涙がでるよ。

死んでから心が通うこともあるんだ。

もうすぐ、兄のもとに行けるからね。

すこし、太ったって言われるね、きっと(笑)




9月1日

2018年09月02日 00時46分05秒 | 母親のこと
激しい雨がやみ、ひんやりした空気が汗ばんだ首を通り抜けた。

夏にビール瓶に溺れて死んだヤモリはまだ、あの場所で、今日の雨にうたれ、優しい風に吹かれ、そこにいた。

私がおいた仏様の墓石の片隅で、身体はほとんど平らな地面に同化しつつ、頭だけはまだ地面に預けているかんじで安住しているようだった。
ゆっくり、自然にかえっていけばいいね。



今日は由良子さんの月命日。死後、1度もお経をあげてもらうことができず、彼女は少しとまどっていたのだろう。

わたしのお寺さんにお経をあげてもらう。

お寺さんは教えてくださった。

故人のために供養をし、お経をとなえるのが告別式。告げる日はそこからきてるんですよ。

あなたは、これから仏の道にいくのです、さあ切符ですよ。どうぞ迷わず安らかにと故人に起きた現象を告げる日。

由良子さんは初め少しとまどっていたのだろうけど、
こうしてご家族が毎日供養し、手をあわすことで、お経と同じ効果があったのでしょう、今は安らかにおなりの様子です。

お寺さんの言葉やお経はからだの中までじんわりほぐしてくれる。

あのヤモリにもまた会えたし、真夏のあの灼熱から日陰に逃げ込んで見た静かな光景から、雨あがりの9月1日の光景まで、このお寺の出来事は私と由良子さんとの小さな物語となって記憶されつづけるだろうなあ。


安堵の後、

由良子さんへって、優しい友が手渡してくれた。


今日のドナリセリコ会。

こんな日に二人と会えてよかった。なんか、気持ちが穏やかな休息をようやくとりはじめている。

大きな道をひとつ越えたかな。



由良子さんと過ごした夏

2018年08月30日 21時58分50秒 | 母親のこと

由良子さん。


ママと呼んでいた幼いわたしは、何時のときからか、
彼女のことを、あなた、もしくは名前で呼ぶようになった。

あーたね、いい加減にしなさいよ。

由良子さん、わかってないんだから、、、


そんな風にいうわたしを、彼女は子供のときのように呼びつづけ、びくともどうじない。そして、ガチャンときる電話の向こうで絶妙なタイミングで舌をだしわたしを嘲る。毒を吐くようにわたしのまっすぐな心臓につばをかける。

おっとり美しい猛女。

わたしは、彼女が嫌いだった。

嫌いだったのか、、、
辛かったのか、、、

彼女の強さたくましさ、その何度も立ち上がる強さが辛かった。過酷な道に行こうとする。もっと楽に生きられたのに。見てるのが辛いから私は逃げたのかもしれない。

そんな由良子さんは、物言わね骨となって、ちいさな遺骨だけで我が家にきた。

二人暮らしの我が家がひと夏三人になった。

花をかい、お菓子を供え、毎朝目覚めたらお線香をあげる。夫も彼のリズムで同じことをしていた。

お線香が消えるまでが会話の時間。

わたしの心は振り子のように、さまざまな思いで乱れた毎日だった。

今さらね、
と自嘲しながらも、
由良子さんが、わたしにのこした、フェイスタオルを花火や映画や大阪の街につれていった。
なぜかフェイスタオル二枚とカップひとつ。これが、彼女の形見。

何かの荷物を送るついでに入っていた上等のフェイスタオル。

今さらそんな殊勝なことしても、彼女はもういないのにね。

だけどね、
色々と自問自答してわかったよ。

私は由良子さんの子供で似あっている。
また、生まれ変わってもあなたの子供でいたい。多分、。不思議、あんなにきらいだったのに、ひと夏色々めぐり、今はそうおもう。

だけど、次はもっとまったく別の生活をしようよ、普通の楽しみ、穏やかな安らぎの生活をしてみようよ、由良子さん。

あなたが、多分いちずに愛した父親は違うほうがきっといいよ。

彼だと、またおなじ波乱の人生になるよ。






京都の大文字を見ながら、哲学の道をあるき、金と銀で金箔ソフトクリームたべてたころ、由良子さんの身体はもう判別がつかないほど腐敗がすすんでいた。

その夜、
初めてわたしのスマホがなった。

娘、りこちゃん

と書いてたんだね。
アドレスに。

苦しまずに逝けて、それだけがわたしの救いだよ。
神様はみていたのかな、あなたの苦労を。

ソファーで眠ったままいったんだよね。

電話をかけた形跡も、かけようとした形跡も、くるしんで倒れた形跡もなにもなく、
それは、あなたが、本当に安らかな最期だったあかしだね。

ありがとう、苦しまず。
ありがとう、、、今は全てをそう受け止めてるよ。

由良子さんと過ごした夏って、初めてだね。

生きてるときはないもんだね。




この卵焼きは由良子さんがつくる甘い卵焼きににてたよ。

お墓とヤモリ

2018年08月16日 18時11分20秒 | 母親のこと
今日は檀家さんが集まってお寺で 精霊流し の儀式をする日であった。
毎回お盆近くになると亡くなった人の名前を札に書いて家でまつり、それをこの日にお寺に持っていきまとめて船に乗せて 天に還してくれるという儀式がうちのお寺ではお盆の行事の締めくくり。

私は毎回参加しているわけではないけれどもお墓参りはこの機会にする。

今回はたまたま 母と兄の名前を書いて 持って行くことになった。

そして、お墓参りもした。

お墓にはすでに誰かが数日前にきた形跡があり、
花や蝋燭、ビールの缶が栓を抜いておかれていた。

この暑さ、
ビールからは異臭がしていたので、捨てにいった。

中身が重たいから、全部流しで捨ててからと、蛇口の下にあてて缶を傾ける。ほぼ腐敗している中身はサラサラとこぼれることはなく、塊かんがある。なんともいえない臭い。
それでも水を流しながら何度か傾けていると、明らかにおおきな塊がチラリと缶の口からのぞいた。

うわ、
かなりの腐敗から塊ができてるのか、いやだなーと思いながらもいっきにながしだすと、
や、や、やもり?
と思わし気、形。

うわ、ヤモリだ、、、。

うちのお墓をまもり、お寺を守るヤモリが
ビールかんに落ちたのだ。

目や手足の感じはのこっている。

私は爬虫類系は苦手だけど、ヤモリは大丈夫。みつけても、ベランダでそのまま遊ばせておく。

私にとっては静かで臆病で優しい守り人ってかんじ。

そんなヤモリ。

目を剥き出しヘロヘロの体が蛇口から溢れる真水でちょっと紫色にかわって、ぐったり排水口のあたりでよこたえている。

排水口に流れて消えていくには大きすぎる不釣り合いな物体だ。

助けなきゃ。

旦那っちにいってウエットティッシュの上に引き上げてもらい、

そのまま無縁仏さんの墓石のところへ。

無縁仏さんは、もう死後50年は過ぎ、仏さまへと昇華した、仏さまのあつまり。穏やかな顔の墓石がたくさん。
そのかたわらに、ヤモリをねかせ手を合わせてきた。

その光景は夏の日の眩しさから抜け出したひんやりした日陰の安らぎに似ていた。

皆の魂が穏やかでありますように。

あのヤモリも、苦しい何日かを終え、自然に還っていけますように。


いよいよお盆

2018年08月10日 04時42分47秒 | 母親のこと
この週末からいっきにお盆ですよ。
うちには日本人のゲストはいないから、帰省しても自宅でいるのかな。

日本の風習とは関係ない夏休みの海外学生ばかり。

あと一週間頑張ったら名古屋に遊びにいく。

名古屋の猛暑にうなぎと手羽先でたちむかうのだ。

そして、夏のさいごに、母に私のお寺さんで供養のお経をあげてもらって。

私のもとから天へ。

きっと彼女はまだなにがおきたのかわからないでいる。

眠るわたしの耳元で彼女の声がした。

りこちゃん、りこちゃん、お母さんだけど、
お母さん焼かれちゃったみたいだよ、だから、いないんだよ、

りこちゃん、。

寝返りをうつと、
母の40代頃の若々しい姿。

あまりにも突然で、仏さまに会いに行く道のお経もないままだものね。

しばらくは、大阪で遊んでいなよ。

あなたは、あの日苦しまず死んだんだね。うとうとしながら死んで。それからだれにも会わなくなった。元気だからヘルパーさんもこない。
そして、

娘は電話なんてしない。


「焼かれちゃったみたいだよ、」

て、違うんだ、、、

あなたを供養するために私が荼毘にふした。

こういう言い方をよくする人だった。そして、その言い方にわたしはいちいち気になった。

けど、今回は、ほんとうに、率直に素直に言ってるようにも感じた。

だから、お経をあげてもらうからね。

その前に
名古屋行ってくる。

小さな夏休み






久しぶり

2018年07月29日 03時23分59秒 | 母親のこと

7月も最後の週末。
台風が来てても、酷暑でも、
旅する人はアクティブ。

週末は相変わらずの賑わい。

久しぶりに職場、現場。



近くの海鮮居酒屋にもいった。





温かい汁ものが美味しく感じる。



ぼたん海老はたまらん❤️

少しづつ、日常に復帰。

困ったことに、

楽しみにしていた
映画コードブルーが何となく見るのが怖い。

医療、命の現場は、皮肉にも映画宣伝のノンフィクションのテレビを見たら、なんかわさわさしてしまって、映画を躊躇だー(/_;)/~~