先日、「一転」という題で、以下の記事をいったんはアップしたのだけど、どうなっていくかわからないし、医師から直接の説明を受けてないわたしが、胃癌の人の術後を書くのはどうかなとも思って記事を引っ込めた。でも、さらに状況がかわったので、この思いは残しておこうとおもった。
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「一転」
お寺の行事の後お見舞いによったら、一転。
腎臓の機能低下によるものなのか、腸の機能なのか…下痢が現れ輸血されてぐったりしてる。
また食事ができない日々に逆戻り。
かわいそうに。
食べたいものが沢山頭に浮かぶという。それは何より苦しいかもしれないけど、返せば生命力の現れ。
次の良い一転がありますように。
祈るばかりだ。
そんなんで、少しブログをお休みにするかもしれません。
私自身も気持ちが安定しないところがあって、今、何を書いていいのか、公のブログというものを書くことに戸惑いを感じる初めての感じがしてます。
また、私の気持ちの波が好転したら、「これは!」って感じることあったら更新します。
ではでは、
残暑、厳しすぎるね~。
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ここまでが、先日の記事。
結果、私の気持ちはともかくとして、姑の状態の好転には今のところなってなく、さらに悪化した。
腸に炎症がおこり、大きな下痢と腹水により、腎機能がまったくおかしくなって電解質バランスってのかな、それが機能してないみたい。
一週間前には、末の息子(義弟)にささえられ、「おかん、花火すこしみえるで」って、病室の窓から夜空を見上げて大仕事を終えた後の、とても穏やかな顔をしていたのに・・・・
今日は、酸素マスクの中で荒い呼吸をくりかえし、水分も食事もいっさいとれないでいる。
鎖骨の血管から、高カロリーの栄養点滴を受ける姿は痛々しい。
食べたいのに、飲みたいのにできない。カラカラの口で呼吸を繰り返すだけ。
拷問と思ってしまう。医療なのだろうけど、拷問だ。それをみまもる医療者と身内と患者本人の気持ちが改善へと願う同じ方向にむいてなければ、拷問だよ。だから、今すこし、今夜か、明日までか、がんばってほしい。
これは、拷問だと誰かが・・・・・・誰かが感じたとき、きっともうがんばらなくってもいいよって選択になるのだろうか。
私は弱いから、そんなことを思ってしまいそうなので、気持ちに一瞬麻酔をかけた。
どうか、一度はあの家に帰って、「あの時はりこちゃんたいへんだったん、宇宙ステーションみたいな部屋やったなぁ、りこちゃん、あんなとこから来たんやないやろ?」
と笑わせてほしい。
もう一度帰れますように。
病気でスマートになったからお正月にきもの着ても似合うんとちゃうん?と笑っていた願い、叶いますように。
義父さま、いたずらして帰っちゃただけだよね?
私は元気でいます。
姑がつらく頑張ってるぶん、私は元気でいないとね。しっかりと、彼女が生ききる姿を見ていこうとおもいます。辛いけどね。