戦後75年
わたしの経済の先生は80歳。
普段は戦争のはなしなどしないガチガチの経済人だけれど、
先生には戦後からの日本の高度成長や世の中社会の勢いある経済状況、そしていくつかの大きな浮き沈みを目の当たりにしながら考えるところも色々あるのでしょう。
今日はこんなメールをくださった。
⭐⭐⭐⭐⭐
今日は、8月15日。
終戦記念日。
大した内容ではないですが、
私の戦争体験、「生」のお話です。
当時の日本が置かれた状況。
日本がやってきたことを
明確にしましょうね。
他国の批判は易しいですが、
自分の国の本当の
歴史を知らないと。
◎私の戦争体験3
第二次世界大戦で、
日本が敗戦濃厚のころ、
東京が激しい空襲に遭い、
焼け出された人たちが、
日本全国に疎開しました。
もし、東京が大災害に遭遇したら、
同じことが起きるかもしれませんね。
私の育った栃木県の農家には、
東京から沢山の人が疎開してきました。
私の家の2階。
神社の境内。
兎に角、生きていかなければならない。
農家も、狭い空間を提供しました。
都会の食料が底をつき、
「供出」が行われました。
「サツマイモのつる」
「カシの木の実」
なんでも、近くのパルプ工場に運びました。
幼い兄弟が、リアカーで。
勝てるわけありませんね。
このような食糧事情で。
敗戦。
そのあとに、小学校に上がりましたが、
校庭は日本軍の戦車の工具やネジ、
様々なものが散乱していました。
二宮尊徳の像。
天皇を意味する礼拝の場所。
敗戦直後は、
軍国主義が残っていました。
新入生が運動会で
競争してもらった商品は、
日本の軍隊の布のカバン。
占領軍のジープが、
国道4号線に止まって、
チョコレートなどを食べていた。
見ていると、くれる米軍もいた。
戦後の風景です。
東京には、闇市、
バラックが建っていたころです。
皆さん。
日本軍がやってきたことを知っていますか?
・朝鮮の占領
・中国の東北の占領、各地への行軍
・東南アジア各国の占領。
・もちろん、ハワイへの奇襲攻撃。
この最後が敗戦です。
朝鮮(韓国、北朝鮮の前)、
中国は日本を占領していません。
日本は、ロシアの樺太も占領しました。
これが昔の日本です。
これで、私が「日本はだめだ」
というつもりはありません。
歴史の事実を見ながら、
今を考えることが大切です。
平和日本は、戦後、
アメリカの技術を吸収し、
今の日本の基礎を作りました。
これを中国、韓国がやっています。
経済は、競争です。
その流れを見ながら、
投資も考えましょうね。
なかなかね、消えることはないでしょう。消さないって気持ちも強いのかな。
当事者ゆえの刻まれた深い思いがあるのでしょうね。
そして、
だれもが豊かになるために働き、そこに投資するひとがいる。
今もこの構造はかわらないと思うけど、サプライチェーンの糸はどこまでほどく気なのか、、
せっかく繋がったものなのに。
などなど、色々いつもと違う特別な夏をすごしてます。
昼間はカーテンをちょっとだけ開けてほぼほぼ洞窟のような状態にしてスーパーで売ってるかき氷に豆乳をかけて涼をとるこんな生活をしています