まっかちゃんのブログ

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”帝塚山派”の文学①

2012-04-30 13:31:38 | 文化・文学・アート
27日立命館大阪キャンパスで、立命館大阪プロムナードセミナー「木津川 計/優しさとしての大阪文化」第1回「”帝塚山派”の文学①-庄野英二・潤三、阪田寛夫、長沖一の文学-」を受講しました。内容は以下の通りです。
1、なぜ「優しさとしての大阪文化」なのか
 歪められる大阪像の時代、大阪本来の優しさが想起されなければならない。武士の都市・江戸の荒事に、町人の町・大坂の和事はこの都市をやわらかに色に染めていた。それが人情(ヒューマン)の街・大阪”(いい)に他ならなかった。

2、大阪像、大阪人像
1)社会化した大阪観
 全国の人の大阪に対するイメージは、「がめつい」「ど根性」「どケチ」「ど派手」「吉本・タコ焼き・タイガース」「大阪のおばちゃん」である。
2)大阪の文化分類型
 ①宝塚型文化-都市的華麗
 ②河内型文化-土着的庶民性
 ③船場型文化-伝統的大阪らしさ
 ④千里型文化-学術研究機能性
3)大阪人の全体像
 ①ど根性型-阪田三吉、”東洋の魔女”(1960年代)
 ②破廉恥型-大日本どケチ教教祖・吉本晴彦、猥褻知事・横山ノック(1973年石油ショックで高度成長終焉)
 ③権力型への脚光-島田紳助、橋下徹(現在)
 ④恥じらい型優しさとしての大阪文化の原型にあるもので、表に出てこない。今こそ脚光を当てなければならない。

3、「四季派」にならんで「帝塚山派」を
 1933(昭8)年5月、堀辰雄の編集により「四季」が創刊された。堀辰雄、三好達治、丸山薫らが、日本の伝統的な抒情ないし西洋文学と結び付け、主知的で典雅な抒情詩として再生させた。これらは「四季派」と呼ばれる。 ヒューマンやピューリタンな作風で大阪を温かく清潔に描き、人生と誠実に向きあった。例えば、阪田寛夫、藤沢桓夫他、一群の作家たちを再評価しなければならない。その作家たちの多くが帝塚山学院の教壇に立った。庄野英二・潤三兄弟、杉山平一、小久保實、長沖一ら、これらの作家たちを「四季派」になぞらえて「帝塚山派」と呼びたい。

4、帝塚山派の文学
1)庄野潤三 「舞踏」「プールサイドの小景」「相客」
2)庄野英二 「アレン中佐のサイン」「ロッテルダムの灯」「松花紅」「星の牧馬」阪田寛夫、長沖一の文学は次回。

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