最近、おもうこと・・・ばかりのアップですみません。。。
武者小路実篤の有名な言葉。。。名言。。。というんでしょうかね。
「この道より我を生かす道なし。この道を行く。」
この言葉、お土産物売り場の何か品物にも書いてあるぐらい、浸透しているようですが、解釈について思うことがあるんです。。
一般的には(作者本人もかなぁ・・)、例えば、女優になりたいと思っている女の子がいたとします。
そんなの無理だよ。食っていくのも大変だし、成功する人なんて殆どいないよ。。と言われても、その道を信じてやり抜き続ける。。
というようなことなのでしょう。
だけど私、最近思うんですよ。
例えば、何かの職人の家に生まれた。
自分の意に反して、後を継がなければならなかった。
本当は、もっとやりたいことがあったのに。。
しかしその道をやり抜いた。。
その先には、悟りにも似た、真理への気付きがあった。。
ぁ・・・私が言ってることって、通じてますかね~~
思うような学校に行けなかったり、理想通りの就職が出来なかったり。。
でも、やり続け、やり遂げた時には、何か大きなものが見えてくるんじゃないでしょうか?
この年になると、そんな気がしてきます。
NHKのTVで、石工の左野さんという方が出ていらっしゃいました。
中学卒業前、体を壊し、就職できたのが石工の仕事だけだった。
進学した同級生たちが、流行のボーリングに興じているのを横目に、自分は手がしびれるどころか、皮もボロボロに剥け、感覚もなくなり、足もたたなくなるような、想像を絶するような仕事の厳しさに耐えた。
それは「くやしさ」
それはもう、ものすごい思いだったと。。
何とかこの仕事で、いっぱしの人間になりたいと努力に努力を重ねた。
おそらく地を這いずるような気持だったのではないでしょうか?
そして今、カンボジアのアンコールワットをはじめ、エジプトのピラミッドやイースター島のモアイ像など、世界の遺産を、「ノミ」一本で渡り歩き修復する仕事をしている。
私の頭の中に、武者小路実篤の言葉がよぎりました。
何かを命がけでやらなくて、何が見えてくるんでしょう。
かっこいいことばかり考えていても、絶対に見つからない。
泥をかぶらなくちゃ見えないよ。。
と、中学生の男の子に言っておきましたが、どれくらい分かってくれたやら。。
筑紫哲也さんが生前、
「どんなにきれいな発音で英語をしゃべっても、中身がなかったらダメなんですよ。内容がなければ、どんなにきれいなネイティブで話しても、聞いてはもらえません。」
筑紫さんもそんなに素晴らしい発音ではなかったけど、アメリカでの仕事も長く続け、キャスターとしても一人の人間としても愛され尊敬されて、多くの知識人と語っていましたよね。
生徒にもよく言うんです。
「とてもきれいに朗読しても、どんなことが書かれていましたか?と聞かれて、さっぱり分かりません・・じゃ、どうにもならんでしょ。少し位つたなくても、ちゃんと理解して語らなきゃ、意味ないじゃん。初めからさらさら弾かんでもいいよ。むしろ不器用に弾きなさい!」
そりゃ、舞台の上で不器用という訳にはいきませんよ。
お客様にまだ出来上がっていない生煮えのお料理を出すわけにはいきませんからね。
でも、ゆっくり時間をかけて仕上げればいいことでしょ。
意味も分からず、最初から口先だけで意味のない言葉を並べるなと。。
大きな子にですよ。
ちっちゃい人には、お母さんと一緒に「一つの曲は、一つのお話を読むように」と、言っています。
若いころ、ショパンがあまり好きではありませんでした。
綺麗すぎて、華麗すぎて、なんだか私の心に響いてこなかった。
でもそれは、ショパンの作品の表層しか聴けていなかったのだと思います。
文章で言ったら、「文体」とでも言いましょうか。
そういう表面的なことに気が行ってたんだと思います。
オシャレだとか、カッコいいとか、、
それも大事だけど。。
大江健三郎さんの文は「悪文」と言われているようで、ご本人も承知していらっしゃるようです。
でも、文体がオシャレだとか、そういうことではなくて、
「作品に貫かれている精神」
こそが、大切なのだと思います。
進路など、迷うことは多々あると思います。
泥をかぶり、くやしさに耐えられないで、どうして真理がつかめるのでしょうか?
いや、ありません―――英文にこういうのあったけ??
きっと必死にやったら、見えてくる「真理」は、同じなのかもしれないと思っている、今日この頃でした。。。
ぜーーったいそうだって。。!
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