歴史の中には、興味深い生涯を送った女性が数多くいます。
ナディア・ブーランジェもその一人です。
唐突にこんな書き出しをして、何の話? と思われたかも知れません。
レッスンをしていたら、隣のレッスン室からアストル・ピアソラの曲が聴こえてきたので、
ふと、この事が書きたくなりました。
以前テレビで「ダニエル・バレンボイム、ピアソラを語る」という番組を見た事があります。
まず、生粋のクラシックのピアニストで、指揮者でもあるバレンボイムが、
なぜアルゼンチンタンゴのピアソラと接点があるのか驚きでした。
アストル・ピアソラはご存知の方も多いと思いますが、「リベルタンゴ」「アディオス・ノニーノ」
など、どこかで耳にした事のある名曲を残した人です。
これらの曲のファンの方も多いかも知れません。
波乱万丈の人生を送ったピアソラですが、彼の音楽を語る上で、ナディア・ブーランジェは欠かせない人なのです。
今でこそアルゼンチンタンゴと言えばピアソラの名前がまずあがってきますが、
ピアソラが若い頃その作品を発表した時は、それまでのアルゼンチンタンゴとは
かなり違うスタイルをとっていたので、故国では受け入れられませんでした。
タンゴを冒涜した…とまで言われたのです。
その後フランスへ渡り、しばらくの間この地で暮したのですが、その時師事したのがナディア・ブーランジェでした。
ナディアはピアソラの才能と音楽の方向性を見抜き、「あなたには、やるべき音楽がある」
と、彼の音楽を評価し、後押しをしました。
このナディア・ブーランジェと言う人に師事した音楽家は多岐にわたり、
主だった人を列挙しても、その多さと顔ぶれに驚かされます。
アーロン・コープランド、レナード・バーンスタイン、ダニエル・バレンボイム、キース・ジャレット、
クインシー・ジョーンズ、アストル・ピアソラetc.
こんなところでバレンボイムとピアソラに接点があったのです。
1887年にパリで生まれ、1979年にパリで没したナディアは、教師、指揮者、作曲家として活躍しましたが、
特に教育分野では多くの人に、多大な影響を与えました。
学生たちは、彼女が膨大な量の音楽を知り尽くしている事、たちどころに作品の欠点と長所を見抜く迅速さ、
芸術家という聖なる職業に対する彼女の敬意に感銘を受けたという事です。
キース・ジャレットのようなジャズ界の人やピアソラのような人、バーンスタインのような作曲家、指揮者、
バレンボイムのようなピアニスト、指揮者・・・驚くべき許容範囲です!
一般的には知ることのない人かも知れませんが、ナディア・ブーランジェという女性、
多くの素晴らしいアーティストを育てた偉大な教育者として、その魂が受け継がれてゆくことでしょう。
驚きと共に、憧れる素晴らしい女性です。
はじめまして。
西野ピアノ教室のブログへようこそ!
今回は、ナディア・ブーランジェについて書きたかったので、ピアソラについての記事は、省略してあります。
いつかピアソラについてかく機会があれば、またその時に・・・
他の作曲家についてはあまりご興味ありませんでしたか?
時々気が向いた時に、分かりやすい範囲で、作曲家や、画家、その他、興味ある人物を紹介しています。
今度はいつ誰をかくかは未定ですがね・・・♪