「桜島のフエリーでのうどん」
森川 雅昭さん 撮影
桜島フエリーの船内で売っている何の変哲ないうどんなのだが
これが妙に美味いのである。私が行ったのはもう何十年も前の
ことになるのに覚えている。空腹もあったのだろうが旅情という
魔法の薬味がかかっていたのだろうか。まあちゃん達がそれを食べ
写真に撮ってきてくれたのが嬉しく、私も食べた様な気持ちになった。
時間は、刻々と過ぎ何をしていようと何もしていなくても正確に無情にも
或いは冷酷に我々の上を通り過ぎていく。昔の楽しくあのめくるめく様な
歓喜や栄光(これはあまりなかったが)を思い出しては、その甘い思い出に
ひたって居るのは年の所為のだろうか。
たまたまフエリーのうどんからの連想でこんな事を思ってしまったのかも知れない。
これから先に、もっと美味いものに出会い、楽しい嬉しいことがあると思えば昔の
うどんなどは思い出しもしないのかも知れないけれど。
この昔を懐古することが多くなるのは老いの証拠だという。
それでも残念ながら昔は良かったナァという気持ちからは抜けられない。
自分の老いの現実を受け入れて、これから先の自分の人生を考えるのが
老人の精神衛生上の必須要件だと老人学では言っている。
しかし先行き短く体も不便、不調で、これから先に何の楽しみ、生き甲斐
を見つけよ!と言うのか。
現実の前には、どんな老人学の金言や訓辞も心理学の格言も、ただの絵空事
のようで虚しい。それでも人間は明日も生きようとするのだから、案外しぶとく、
強くそして健気なものかも知れない。一寸悲しいけれど人間万歳だ!!