『 ひよチャンと河津桜 』
真田 幸夫さん 撮影
最近は昔に比べると極端に「老いてからの時間」が長くなっているそうだ。
巷間では「老後の生き方」と言った類の本が氾濫して、我々を啓蒙して呉れたり
或いは時に悩ませたり、不安を煽ったりしている。
これも老人社会があまりにも進んで何かと社会問題が多いからなのだろう。
老人生活が30~40年という他人がザラに居るようになった。
自分の姿は見えないから言えるのだが、たまに街に出ても老人ばかりだ。
学校の近くの交差点などで子供たちの集団を見掛けると、ああ若い人もまだまだ大勢
いるのだと妙に安心したりしているのだ。
前回も書いたように、長く生きている間には徐々に代謝作用が低下し細胞分裂が不活発化
して、全身の機能が衰え老化して、これがより進むと老衰そして死に至るというメカニズムだ。
しかしこれが有難いというべきなのか、この老化の進行を妨げるような医学の発達、
サプリメントの開発、栄養の見直し、生活指導や肉体のトレーニング法などが盛んになり、
老いてからの時間を飛躍的に伸ばしている。
自然界の動物社会では、老いて弱れば淘汰され、エサを自力で取れなくなれば死ぬしかない。
しかし人間世界はコミニュティが盛んな集団生活(家族、団体、社会等)だからまだ老人の
存在価値はあり、子育ての補助とか老人の貯えた生活の知恵や知識の伝授がある。
つまり生きることが出来るし、存在意義もあるようだ。エサにも十分ありつけるわけだ。
何時しか長い経験と知識の集積を持った老人が、集団生活で主導権を取ったり、社会を
纏める様にさえなった。
しかし最近の政治家の老害を見ていると、老人の活躍もあながち良かったとばかりは言って
おられないようだ。
「老兵は適当に消え去るのみ」が一番の美学のような気がしてくる。
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