「庭にオナガがやってきた」
高橋 嘉子さん 撮影
先日、コンビニの新聞販売の棚で某夕刊紙の見出しに、かの大暴言男を
死んだからと言って、世間が賞賛しすぎるのは危険だという意味の文字が
踊っているのが目に付いた。ハットとした。成る程と思う。
国民が政治にモヤモヤとした不満を抱いている今だから、昔の彼が言いたい
ことを言い、小気味良い辛口発言を政府にぶつけている映像を、TVで何度も
見せつけられると、不思議と偉大な政治家を失ったような気持ちにさせられて
しまう。よくよく考えれば、とんでもない暴言と利己的な発言とで、まことに
ハナモチならない政治家だったことを思い出した。
すらっとして格好は良かった、何しろあの裕ちゃんのお兄さんなのだから人気が
あった。しかしあの独断専横気質と自信過剰と我が儘で、周りを小馬鹿にしたような
独特でニヒルな笑い顔が目に浮かぶ。
頭の良さ、文学的才能は、これは誰しもが認めるものであるが、本当に国民を思う
政治家になれていたのかどうかとなると大きな疑問である。
どうも政治家は頭良いと駄目なようだ。
あの陰険で利権の人も、優柔不断の検討しますのおじさんも、今の人の話を聞きます父さんも、
そして歴代を含めて皆、頭だけはよかったのだろうか。
そんな政治家ばかりの政界だからあの頃を忘れて、颯爽として言いたいことを言った政治家
として美化したのかも知れない。誰しも死ねばどんな人であっても、仏は善人だったになる。
誰もが結婚式の祝辞と葬式の弔辞では有能な善い人になるのと同じだろうか。
あの夕刊紙の見出しの通りであって、今の政治家だって死ねば仏だろう。
しかし何人かは。死んでも立派な政治家とは言いたくない人が居るのだが。
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