もう4年前になりますが、大阪の友人と3人でフランスに行った時の事を、又記録しておこうと思います。
当時ブログにとは思ってないので、私たちの写ってる写真が多くいい写真がありません。
4年前は1ユーロ170円くらいでした。
2008年7月2日(水)
関空発 11:50 エールフランス パリ着 17:15
パリ(泊)
・・・・・・・・・・
2008年7月3日(木)ジヴェルニー観光
印象派の画家クロード・モネが43歳から晩年まで過ごした、ジヴェルニーに行きモネの家と広大な庭を観光。
毎日庭師が手入れをし、季節の花に植えかえられているので、いつ行っても美しい庭が見られる。
水の庭園には、モネの代表作『睡蓮』を思いおこす池に、睡蓮の花が咲いていました。
午後にはしぼむと聞きました。
素敵な住居でした。
キッチンはモザイクタイルがとても美しく、絵葉書が残っていたので載せました。
午後はバスで1時間のルーアンへ
ジャンヌ・ダルクが火あぶりにされた広場にあるジャンヌ・ダルク教会や旧市街広場・ノートルダム大聖堂を見学
『ラ・クローヌ』フランス最古の食堂 虫よけにゼラニウムの鉢植えが・・
ウサギの肉が・・・
バスで3時間 モンサンミッシェルへ
夜の更けるのが遅く、夕食の後、明日行くモンサンミッシェルを見に行った。
今夜はモンサンミッシェルの対岸のホテルに宿泊
この旅行の一ヶ月後、母が足を骨折して入院し、それから一人暮らしができなくなり、うちで一緒に生活をするようになりました。2年半ぐらいでした。
母は温泉に行こうと誘っても、いやだと言うので、結局私も母とうちにいる生活が続き母は、「旅行に行っていいよ。ショートステイで、泊まってくるよ。」と、言ってくれましたけど、そうまでして旅行に行きたいとは、私も夫も思いませんでした。
一度だけ大阪の同窓会に、いつもなら何泊かする所を日帰りで行った事がありましたが、まあ、ちゃんと親孝行したかなあと、思っています。
当時ブログにとは思ってないので、私たちの写ってる写真が多くいい写真がありません。
4年前は1ユーロ170円くらいでした。
2008年7月2日(水)
関空発 11:50 エールフランス パリ着 17:15
パリ(泊)
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2008年7月3日(木)ジヴェルニー観光
印象派の画家クロード・モネが43歳から晩年まで過ごした、ジヴェルニーに行きモネの家と広大な庭を観光。
毎日庭師が手入れをし、季節の花に植えかえられているので、いつ行っても美しい庭が見られる。
水の庭園には、モネの代表作『睡蓮』を思いおこす池に、睡蓮の花が咲いていました。
午後にはしぼむと聞きました。
素敵な住居でした。
キッチンはモザイクタイルがとても美しく、絵葉書が残っていたので載せました。
午後はバスで1時間のルーアンへ
ジャンヌ・ダルクが火あぶりにされた広場にあるジャンヌ・ダルク教会や旧市街広場・ノートルダム大聖堂を見学
『ラ・クローヌ』フランス最古の食堂 虫よけにゼラニウムの鉢植えが・・
ウサギの肉が・・・
バスで3時間 モンサンミッシェルへ
夜の更けるのが遅く、夕食の後、明日行くモンサンミッシェルを見に行った。
今夜はモンサンミッシェルの対岸のホテルに宿泊
この旅行の一ヶ月後、母が足を骨折して入院し、それから一人暮らしができなくなり、うちで一緒に生活をするようになりました。2年半ぐらいでした。
母は温泉に行こうと誘っても、いやだと言うので、結局私も母とうちにいる生活が続き母は、「旅行に行っていいよ。ショートステイで、泊まってくるよ。」と、言ってくれましたけど、そうまでして旅行に行きたいとは、私も夫も思いませんでした。
一度だけ大阪の同窓会に、いつもなら何泊かする所を日帰りで行った事がありましたが、まあ、ちゃんと親孝行したかなあと、思っています。
私もパリにもう一度行きたくなりました。
見世物(?)になるくらいだから(笑)、日本人留学生が少なかったのですね。
私はてっきり、フランス文学の勉強と思っていましたが、化学ですね。少しずつさかのぼってブログ拝見しています。
「パリのお嬢さん」歌のとおりの、とんでもない美人で大金持ちのお嬢さんだそうです。わたしの生まれた頃の人ですが。
思い出しました。
パリ第五大学の教室で受講中、廊下をJTBの団体がどかどかと歩いてきました。突然ガイドが叫びました。
「みなさん、あそこに日本人がいますよ!」
なんだ、ぼくは見せ物か?と思いましたっけ。
いや、遠い日の思い出です。
パリにお暮らしだった事は、madonnnaさんの所で、感じておりました。
私は旅行者として、ちょっと通っただけの事を書きましたが、皆忘先生が懐かしいパリを思い出して下さってると思うと、嬉しいです。
35年前と25年前にパリに暮らしたおもいでがあり、しみじみ拝見しました。
シャルトルの青。あの左右の意匠が違う塔も、もう一度見たいと、しょっちゅう思います。
お母様は、子供に迷惑を掛けたくないという思いがおありだったと思います。だから、きっと近所に住む娘が会いに来てくれるというので、満足なさってたと思います。
でも、私は母が認知症だったので父の希望もあって2人を近所の老人ホームに入れました。
父はホームに入れて3ヶ月後に亡くなりました。
母は父の2年後に癌で亡くなりました。母を引き取って看取ってやれなかったことが、3年経った今も私を苦しめます。
まろさんのお母様もちかちかさんのお母様も、幸せな方です。
母がいないから、気楽に旅行行けるのに、やっぱりもっとそばにいてほしかったなあ!とも、思います。
母というものは、えらいというかなんというか。うちも私に気を使っているな、と思える言動をしばしばしますが、でも言うたその口が次の瞬間私の欠点をするどく衝いたりします。
つかれます、実母は。