私は子育てが始まった時、
『娘を真正面から受け止めて育てよう。』
『娘が望む愛情を与えて育てよう。』と思いました。
『母親と子供』について、いろいろ考えさせられる事があったので、きっとそんな風に思ったのだと思います。
娘が3歳の頃から、いろんな事(勉強じゃなくて、人としてどうあるべきかについて)を教えて育てて来ました。
人としての基本がしっかり身についてさえいれば、娘は娘の人生をしっかりと歩いていけるだろうと思いました。
「そんな事教えなくていいよ。まだ、彩子には理解できないよ。」って主人はよく言っていましたが、「今、理解できなくてもいいの。何度も聞いている内に彩子の頭の片隅にその事が少しでも残るから、お母さんがそんな事言ってたな~って思って、いつかそんな時が来た時に思い出してくれればいいから。」って、娘になるだけ分かり易い言葉を使って、私は何でも話して聞かせました。
私は『子育て』っていうのは、子供の心の中に『信念』という積み木を、1つずつ積み上げて行ってあげることだと思っています。
事ある毎に、同じ事を何度も何度も繰り返して話して、娘がその事を本当に理解できて、いつか「お母さん、○○ってこういう事やね。」って言った時、「そうよ。」って流して答えるのではなくて、娘の言葉をそのままオウム返しして、その説明も繰り返ししました。
そうすれば、「間違っていないんだ。合っているんだ。」っていうきちんとした確信を娘は持つことができるし、それがきっと娘の心の中で『信念』になるのだと思って、1つずつ積み木を積み重ねて育ててきました。
大学を卒業した時に、
「お母さんが知ってること、思っていることは、もう全部彩ちゃんに教えたと思うから、彩ちゃんはこれからは、しっかりと自分で考えて生きて行きなさい。」って、娘に話しました。
私は、自分の育て方が完璧だとは思っていません。
今でも娘を見ながら、「あぁ、私の育て方が足りてないな~。」と思う事があります。
そんな時は、まず自分の足りていない所を反省してから、『どうすれば、娘に気付かせてあげる事ができるだろか?』って考えます。
そうして、娘が気付くまで待ちます。
『娘が自分で考えて、気付く。』って事がとっても大切だと思っています。
お互いにそんな風にしながら、私達母と娘は日々成長しているのかも知れません。