たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

四国旅(4/15-2) 見事な藤のアーチ 天赦園

2019年06月05日 | 

続き

 

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白玉藤が見頃を迎える頃であるという情報を数日前、べるさんのブログで得ましたので

宇和島城見学後、車を天赦園に向けます

   

入園手続きを済ませますと先ず迎えてくれたのが野田藤でした

下部は未だ蕾 この頃が富士の一番美しい姿ですね

樹齢250年以上経っている貫録十分な藤でした

   

天赦園は2代藩主(宗利)が寛文12年(1672)に海を埋め立て造成した「浜御殿」の

南東部を7代藩主(宗紀)が隠居の場として大改造して造営した大名庭園です

写真は泰山竹に囲まれた潜淵館付属茶亭であり宗紀が此処でよく茶を楽しまれたのだとか

また大正11年には昭和天皇が皇太子の時、休憩所として使われたそうです

   

こちらの建物は春雨亭と呼ばれる書屋です

きっと文机から池に目を向け気持ちを落ち着け筆を持ったのではないでしょうかね

その7代藩主・宗紀とは・・・

   

こんなお方でした

説明書きを読みますと

文政から天保期にかけて倹約を徹底し財政・農政・軍事などの藩政改革を行い

弘化元年(1844)に家督を譲り「春山」と号す

  慶応2年(1866)天赦園が完成、隠居所とする

また能書家としても知られ多くの作品を残す

宗紀は穏やかに余生を過ごし明治22年の百歳の天寿を全うしました

  

 鯉に餌を与えておりましたら鳩が羨ましそうにやって来ました

 遠慮は要らないのに、この鳩、かなりの慎重派です 

      

 至る所に竹が見られます ここに植えられている竹は黑竹ですが、苔山に続くしっとりとした

雰囲気が哲学の道を醸しております

ここで何故、天赦園に竹が多いのか判明しました

家門の「竹に雀」に拘ったのですね

因みにこちらの竹は蘇方竹  近くには四方竹、淡竹という種類も見られました

 

   

 この藤が白玉藤

上り藤とも言われ極楽浄土へ導いてくれる白い太鼓橋なんですって!

竹と同じく藤が多く植えられているのは藤原鎌足を祖に仰いだ事によるそうです

旅を終え写真をパソコンに取り入れて初めて気付いた事ですが藤の撮影をしている男性

まさかべるさんだったとはこの時は気付きもしませんでした

  

『僕の近くを行ったり来たりしている女性・・・たかさんだろうか でも今一確信が持てない』

そこへ何処からか現れた男性の姿に

『雄さんだ、間違いない  でも話しかける勇気が・・・・・・どうしたらいいんだ・・・・・・』

そんな、べるさんに友人である としさんが「私が行って来るわよ」

突然「たかさんですか?」と声を掛けられた私達は見知らぬうつくしい女性の出現にビックリ

まさか会えるとは思っていませんでしたから、この対面は気持ちが弾みました

ゆっくりお話もしたいのでべるさんの知っている喫茶でコーヒーを飲みながら歓談する事に致しました

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 楽しい時間を過ごした後、としさんの提案で伊達のお殿様の墓所である龍華山「等覚寺」

及び金剛山「大隆寺」を案内して頂きました

こちらは龍華山「等覚寺さん」 立派な山門です

このお寺さんには宇和島藩主伊達家墓所(初代・2代・3代・4代・6代・8代)眠っておられるのだとか

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としさんは、ここの庭園でお母さまと共に茶を点てた事の有る思い出の寺でも有るらしい

残念ながらその場所は錠が下りていて行く事は叶いませんでした

   

こちらは金剛山「大龍寺さん」

としさんのお家の菩提寺だそうです

現在、訳有って住職さんは不在なのだとか 住職さんも人間  何が有っても不思議じゃないって?

寺の前庭から今朝、訪れた宇和島城が・・・凛々しいですねぇ

此方には伊達家藩主(5代・7代・9代)の墓が有る様ですが

案内して頂いたこの墓は初代藩主・秀宗の奥方である亀様(井伊直政の娘)の墓です

何故、同じ墓所で無いのでしょうかね

 

 

大龍寺さんの庭園にはこんなお地蔵様が・・・

苔の帽子が洒落てますが、これを維持するには鉢植えのお花と同じ管理が必要なのでは?と

要らぬ心配をしてしまいます

ここは大龍寺さんから石段を登った場所に在ったお寺さんでしたが

不覚にも名前を忘れてしまいました

右側に在ります屋根付きの長いベンチ(?)は腰を下ろして背を靠せかけたら

そのまま谷間に落ちてしまうのではないだろうかと思えるほど老朽化しておりました

側に竹で作った駕籠の様な物が置かれていましたのでお聞きしますと

牛鬼の体の部分で有る事をべるさんが説明して下さいました

そう言えば宇和島は闘牛でも有名な所なんですよね

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楽しい時間はアッと言う間に過ぎてしまうものです

お別れの時が来てしまいました

何時か又お会い出来る日が来るでしょうか

べるさん、としさん 楽しい一時を有難うございました

 

コメント (12)
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