秋も終わりに近い11月12日、手軽な岩山「鍬柄岳=石尊山」へ行った。今日は雲一つない快晴、風も穏やかだ。
R254から千平駅に入る道が分からず前から歩いて来た人(親子三代)に尋ねると「そこを右に曲がって紅い吊り橋を目指せばよい」と教えてくれた。言われた通り右折すると団地に入ってしまい行き止まってしまった。 先ほどの中学生位の女の子が息を切らせて追いかけて来た。教えてくれたのが地元の人なので行き止まりの団地への入り口は道としては見ていなかった様だ。お婆さんが「分かる所まで一緒に行ってやんな」と何処までも親切だった。余り甘えても申し訳ないので、取り敢えず吊り橋が見える所まで有んないして頂いた。
無人の千平駅を過ぎ小倉の集落を抜けると谷は狭まり杉の植林の中を走る様になる。杉林が切れてこじんまりした畑が左に現れると、そこに登山口の標識が立っていた。その数m先に車3台ほど置けるスペースが有り同年輩の夫婦が身支度をしていた。
登山口 稜線上の案内板
暫くは野道を歩く気分で小沢に沿って登っていくと、コジンマリした「疫病除けの神・鍬柄嶽亜夫利大神」を祀る神社がヒッソリ建っていた。登山道は祠の右脇に伸びていて左に大きく曲がった所からジグザグの急登が始まる。
稜線に登り上げたところで右に折れ御荷鉾山や下仁田の町を樹間から透かし見ながら数分辿ると抜ける様な青空を背景にドーンと鍬柄岳の岩峰が真上に姿を見せた。岩峰への登りは基部を右に巻き注連縄を潜り真新しい鎖を登る。
以前掛けられていた鉄製の梯子が取り外されていて見苦しいが、このまま風化するのを待つのだろうか。鎖を登って今度は右へトラバース気味に徐々に上部へ登り上げて行くが鎖と刻まれたステップが有り思った程の緊張も無く、むしろ楽しい岩登りである。 中間点で展望が開け先ほど樹間からチラチラ覗いていた風景が大きく広がり関東平野の奥に薄っすらと赤城山、榛名山が連なっていた。
最後の蟹の横ばいモドキの痩せた岩尾根を熟すといよいよ山頂だ。ここは両側が切れ落ちているので足を踏み外したら骨折では済まないだろう。こういう場所は怖がらずサッサと通り過ぎるしかない。
山頂
「ワー」と声が出た。360度の胸のすくような大展望が待っていてくれたのである。間近に大桁山に始まり西上州、奥秩父の山並みという大パノラマだ。「展望の山旅」を広げ三座同定を楽しんでいると登山口で会った夫婦が登って来た。ご夫婦に山名を聞かれると咄嗟に出て来なくて「アレはアレですよ」と応えにならない応えをしてしまった。ご夫婦の「展望の山旅」を貸し私達は取り敢えずお弁当を広げた。
家でボサーッとしている時間は退屈だが、こんな風景の中に身を置いていると至福の時はあっという間に過ぎてしまう。 「妙義に行った日もこんな日だったな」と雄さんがボソリ。そう、あの時も今日の様に穏やかで雲一つない日であった。私達は、その日、沢登り用のテープを間違えて読み違い妙義の山中で震えながら一夜を過ごしたのである。
行田から来たというご夫婦が帰り際「大桁山には登らないのですか?」と言ったが「私達はここで、もう少しのんびりとしてから帰ります」と応えて別れた。ご主人の方は倉渕村出身との事。一寸したきっかけで人間は親しくなれるものだ。ご夫婦が大桁山に向かった後、単独の男性が登って来たのをきっかけに、もっと居たい気持ちを振り払って山頂を後にした。
下山時、岩場を後ずさりで降りた時、嫌に手がかり足がかりがオカシイと思いながらも私は降り続けていた。雄さんが「そこは下山ルートでは無い」そう言われて慌てて引き返したが後で横から眺めると5m下に草付きが有りそこから下は断崖絶壁となって切れ落ちているのが判る。知らぬが仏の当人よりも雄さんの方が背筋が寒くなり、その晩は寝床に入ってからも、ふっとその時の状況が思い出され恐怖が空回りして暫く寝られなかったそうである。
帰り岩山センターの看板が目に入りそこで風呂に入る事にした。車を置き吊り橋から下を見ると鯉と小魚が群れをなして泳いでいるのが手に取る様に見える。太公望が二人、糸を垂れ雄さんを羨ましがらせる。一人の方が鯉を釣り上げた。「やりましたね」と言うと鯉を両手で持ち上げ得意そうに掲げて見せる。
夕食は下仁田で購入した詰め放題500円のコンニャクで雄さんはバンコンを。私は一緒に購入してきたヒラタケのバター炒めと現地調達の食材ですき焼きを頬張りながら相撲放送に目を向ける。小結に昇進した33歳の群馬・沼田出身の琴稲妻が横綱・貴乃花を上手投げで破り「長くやっていると良い事も有るものですね」とインタビューに応えていたが年齢らしい落ち着きぶりは好感が持てた。コメント欄はお休みです。
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