たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

不滅の李舜臣(イ・スンシン)将軍

2014年10月22日 | 韓国
湯陽温泉(10:10)→(バス)→顕忠祠(11:15)  2800ウオン







この軸に描かれた人物がイ・スンシンですが

死後、功績が称えられてチュンムゴンという最大級の勲功が与えられました

(上の船はレプリカですが慶長の役で活躍した亀甲船です)


韓国ドラマに登場した偉大な将軍イ・スンシン

今日はそのイ・スンシン縁の顕忠祠と生家を訪ねてみました




門を潜って左回りに15分ほど歩きますとイ・スンシンの三男で有るイ・ミョンゴンの墓に行き当たりました

三男はドラマにも登場しましたので観た方はお分かりかと思いますが

幼い頃から知恵と勇猛を兼備し乗馬や弓術に大変優れた人物でしたが

惜しい事に慶長の役の際、21歳の短い生涯を終えてしまったんですよね

因みにイ・スンシンの墓はここから9K離れた牙山市の於羅山に有るとの事です


近くにはイ・スンシンが弓術の練習をした場所で的までの距離は145m有るそうです

私も若い頃、親戚の叔父が弓道の師範をしていましたので通った事が有りますが

距離はもっと短かったので的を射る事も出来ましたが145mは、とてもとても無理でしょうね

そしてこの弓場の周りを囲んでいるなだらかなパンファサンは馬の練習に励んだ山で有り

其処彼処にイ・スンシンの軌跡を追う事が出来ました


書にも長けていたイ・スンシンを目指すチビッ子たち・・・ガンバレ


こちらが武科試験に合格する前から暮していたイ・スンシンの生家ですね

ご先祖の格の高さが伺える重厚な建物です












かなりの面積でしたが、こうして歴史上の人物を追う散策は疲れも何処へやら

むしろ楽しくて次の目的地へと気は焦るばかりでした

その目的地とは顕忠祠

ここはイ・スンシンの精神を称える為に建立された祠堂です








敷地内には橋を挟んで約1900坪の広さの池があり

見学者の憩いの場になっており大勢の観光客の姿が見られました

その近くに休憩舎の様な建物が有りましたので近づき説明板を見ますと其処には「旌聞」と書かれていました

何代かに渡って功績を遺した親族を称える為に沢山の名前(?)が掲げられていましたが

これはいわゆる日本でいう顕彰碑に当たるものでは無いかと推測しました

そしてこの建物はそれらを守る為に後から建てられた物ではないかと思われます




最後にイ・スンシン遺物館を覗いてみる事に致しましょう

イ・スンシンと言えば壬辰倭乱の時の水軍の総司令官ですから

展示物は勿論、戦闘に纏わる物ばかりですが中でも目を引いたのは

イ・スンシンが水軍に居た頃の諸々が書かれている日記でした

もう一つの日記は湖南左水営に赴任の命を受けた時の生活日記でしょうか

(間違っているかもしれません)





こちらの刀は197・5㎝という長剣ですが実際に使われた事はなさそうです

実戦用は此方の方なのでしょうね






韓国軍の亀甲船と菱型の紋が掲げられていますので日本軍の船でしょうか






こちらの絵は(何だか紙芝居的な絵ですね)潮の流れの速い場での戦闘シーンですから

セオウル号の事故が起きた珍島(チンド)辺りでしょうか


結局、最後は流れ弾に当たりこの戦闘で亡くなってしまう訳ですが

その時に残された言葉が「私の死を敵に知らせるな」だったそうですが

勝利を収めたのは韓国軍だったのです

今回、ドラマを思い起こしながらイ・スンシンという人物に触れて

日本人で有る筈の自身がイ・スンシンに傾倒している事に一寸、苦笑しています

何れにしても以前、観た「イ・スンシン」は珍しく引き込まれたドラマでした



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6 コメント

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sisisんへ (たか)
2014-10-24 20:53:45
sisiさん、慶長の役は学校で習っても
イ・スンシンにスポットを当てての勉強はしませんでしたよね。
私とてそれ程 詳しい訳ではありません。
ただ、イ・スンシンにつきましてはドラマを夢中で観ましたので
その人物像と時代背景を知る事が出来たのです。

台北の故宮博物院展ですか。
私は見逃しましたがお近くでこうした催しが開かれるとは
羨ましい限りです。
堪能できましたか?
返信する
それなりに (sisi )
2014-10-24 15:08:19
みなさま、韓国の事をたくさん知っていらして驚くばかりの私です。
余りにも知らなさすぎて、お恥ずかしいっ!!!。
それでも、
スクロールしながら、
お写真を一枚、一枚みながら、
たかさんと一緒に歩かせていただいたような、気分に浸らせていただきました。
今日は、時間がありましたので、
九州国立博物館、”台北国立故宮博物院”展に行ってきました。
私も少しは歴史文化に浸らなければ・・・です<汗&笑。
返信する
はるさんへ (たか)
2014-10-24 10:38:10
はるさん、イ・スンシンは日本軍を撃破し朝鮮を救った韓国民族にとって英雄的存在なのでしょうね。
日本国にとっては当然「にっくき敵」なのですが
何故かその功績を称えている私
秀吉を外部に置いやってしまっている私が居ます。
それが不思議でなりません。
敵であれアッパレと言うところでしょうか。

あの大通りに仁王立ちしている将軍像
そうだったのですか
目にはしていながら、その人物が誰で有るのか
分からないまま通り過ぎていました。
はるさんには色々と教えられる事が有りますね。
ありがとうございます。

ドラマですがイ・スンシンを演じたのは
ベートーベンの何とかに出ている俳優さんでしたが
素晴らしい演技をみせてくれました。
出来ればもう一度観たいドラマです。
返信する
不滅のイ・スンシン (はる)
2014-10-24 01:26:10
不滅と名前の前に冠する位、韓国人にとって、永遠を期待する大きな存在なのでしょうね。
死後に贈られたという最大級という勲功や、所縁の地や墓地が大切に守られていることに
民族としての誇りを大切に思う気持ちの表れなのかな~

光化門前を真っ直ぐ南にのびる大通り、旧市庁のあたりから景福宮を望むと
あたかも王宮を守るかの如く、イ・スンシン将軍が仁王立ちしています。
そしてその構図は、数年掛けた王宮前広場の工事の一環で、将軍と王宮の間に
かつては徳寿宮に設置されていた世宗大王像が設置されて、一層明確になった感があります。


たかさんが引き込まれたとおっしゃる「不滅のイ・スンシン」、不幸なことに
まだ見る機会に恵まれません。いつか見て見たいです。
返信する
Fsさんへ (たか)
2014-10-23 13:50:56
Fsさん
川船から眺める扶蘇山城は如何だったでしょうか?
白馬江の川風はさぞや気持ちが良かったのではないでしょうか?
あの日、時間に余裕が有れば私も川下りを楽しみたかったのですが
上から写真に収めてジ・エンドでした。
船の構造につきましてはFsさんのコメントを読ませて頂くまで
特に気にも留めておりませんでしたが
成る程、こんな所にも時代の流れが有ったんですね。

宮南池でハスの花が見られたなんて何とラッキーな事でしょう。
ハスの花 有っての宮南池ですものね。
私も前回の旅は10月でしたが
慶州の広大な蓮池で名残のハスの花を楽しみました。
水連は我が家に有りますので見慣れていますが
ハスと言うのは特別な存在に感じてしまいます。
でも、夏に旅行を計画しますと庭の草が蔓延って散々な目にあってしまいます。
数年前、ヨーロッパ3ヶ月の旅では季節が夏でしたので
背丈よりも高い草を掻き分けて玄関まで行ったものでした。


返信する
イ・スンシン遺物館 (Fs)
2014-10-23 00:23:06
ぜひ訪れたいです。情報ありがとうございます。
また先ほどは私のブログにご訪問感謝いたします。

展示を見ていて、当時の船の構造が気になりました。扶余でも古代船を復元したと思われる川船に乗りました。いづれも船の前方に「水押」がなくて幅広なんですね。和船は前方が三角にとがっているのが特徴ですが、いつごろから朝鮮半島の船と和船とで、構造上の差が出たのか、気になりました。

扶余の宮南池、9月下旬でしたが蓮の花が少しだけ残っていました。あの広大な土地に赤い蓮がとてもマッチしていました。また訪れたいところです。

いろいろな情報を期待しております。時々訪れますのでよろしくお願いします。
返信する

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