たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

福島・前沢集落へ

2022年10月26日 | 

続き

日光、鬼怒川を抜け舘岩に着いた時には時刻は15時を回りススキの穂を斜光が煌めかせている時刻でした。前沢集落は燧ヶ岳登山の帰り偶々見つけて寄ってみましたが丁度ロケ中で集落を廻る事が叶ず、どうしてももう一度訪れたいと言う思いから、あれから20年の歳月を経て漸く実現する事が出来ました。(入場料300円。前回は確か無料だった)風は有りませんでしたが標高が幾分上がっていますので空気は冷たく思わず身を縮めました。

舘岩川の流れの何と美しい事でしょう

舘岩川の脇に建つ民家

右にバッタリ小屋が見えてきました

 

昭和30年頃まで茅葺のバッタリ小屋が並び2・3軒が共同で米・粟・キビなどをつく杵の音が響き渡っていたと言う事ですから長閑な雰囲気だった事でしょう。

先ず曲家資料館になっている民家に靴を脱ぎました

ここ前沢集落は文禄年間に横田城主・山内氏勝の家人、小勝入道沢西が主家が滅んだ際に移り住んだのが始まりでしたが明治40年、全戸焼失する大火に遇い建て直しに同一大工集団が関わったためL字形態の整った統一的景観が生まれたとの事です。曲家は農耕馬と一緒に暮らしていた頃の名残ですね。

 

 

 

生活をするにはやはりシステムキッチンでないと現代人にはキツイでしょう

 

 

 

自然と共に生きて来た先人の暮らしぶりが伺えます

館長さんのお話によれば、ここは1m以上の積雪に見舞われる様です。今ではエアコンを設置しているのでしょうが当時は山で伐採した木をこうして斧で割り暖を取っていたのでしょうね。天井は煤で真っ黒でした。


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21 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (doradorapon)
2022-10-26 17:22:29
良いおうちですね?
母方の実家を思い出します。
懐かしくて 暖かい気持ちになります。
居間は後を継ぐ人がいなくて 朽ち果てるのを待つばかりになりました。悔しいです。
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Unknown (力丸ママ)
2022-10-26 17:38:24
古民家はのどかなうえにも歴史を感じます。
いつまでも残してほしいです。
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端正な家 (手賀沼日記)
2022-10-26 17:40:38
最初にでてくる家は端正な家ですね。素晴らしい。同時に東北の寒さは辛いだろうなと思います。数年前、角館武家屋敷を見学した時も、住み手は冬をどう過ごすのだろう、九州人の私にはとても住めそうにないと思ったものです。
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Unknown (0101eiko)
2022-10-26 17:56:57
よいものを見せていただきました。こういうのを、見るのは、初めてです。土佐の山内の殿様とは関係ないのでしょうかね。山内姓なので、ふと思いました。
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前沢集落 (イケリン)
2022-10-26 18:17:57
たかさん
福島へ出かけられるというのは、ブログに書かれていたので、わかってはいたのですが、
前沢集落へ行かれたのですね。高崎からだと、かなりの距離があったのではないのでしょうか。
このような風景と、昔ながらの建造物が残っている集落は貴重ですね。
水車の回る音とゴットン・ゴットンという音が聞こえてきそうです。
この音が一定の間隔を置いて音を響かせる庭園の鹿おどしのように、長閑さと静けさを醸し
出していたようにも思えます。続編に期待しています。
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ドラさんへ (たか)
2022-10-26 20:06:41
こんばんわ、ドラさん
お母様の御実家、勿体ないですね。私の実家も曲家では有りませんでしたが茅の無い地域でしたので麦藁葺きの家でした。
今その家は有りませんが商売をやっていたものですから、かなり大きな屋根でした。
葺き替えの時には近所の人達で行っていた事が記憶に残っております。
昔はこうして近所で協力し合っていたのですね。良き時代でした。
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力丸ママさんへ (たか)
2022-10-26 20:18:08
こんばんわ、力丸ママさん
こうした民家を見るとホッとしますね。
先人の想いを受け継ぎ代々が守り通して来た歴史が詰まった民家である事を
柱の一つ一つに感じる事が出来ました。
日本の宝ですね。大切に保存に努めて欲しいものです。
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手賀沼日記さんへ (たか)
2022-10-26 20:43:10
こんばんわ、手賀沼日記さん
この集落は明治の大火に遇う迄はみなこの舘岩川べりに建っていたそうです。
その時の面影を残しているのは今は一軒だけですがトタン屋根に変わっても当時の曲家の風格は残していました。
そうですね、冬の厳しさは半端ではないでしょう。
ふと母さんの歌「母さんのあかぎれ痛い、生みそを刷り込む」の一節を思い出してしまいました。
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舘岩 (ヒマヒマノキ)
2022-10-26 21:34:19
たかさん、こんばんは。
舘岩の家や風景をみながら、福島を思い出して
いました。
今回紹介していただいたところは、行ったこと
がありませんが、たかつえスキー場に近いところ
に住んでいる知人を訪ねたことがありました。
だいぶ以前のことです。
確かに冬は相当の積雪があるとのことでした。

都市化がどんどん進んでいます。
時代とともに曲家も、遠い昔の民族資料に
なっていくのだろうと思います。
でもそこに暮らしてきた人々の生活のことは
忘れないようにしたいものです。
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0101eikoさんへ (たか)
2022-10-26 22:26:18
こんばんわ、0101eikoさん
土佐の山内氏と会津山内の関係を調べて見ました。
「山内氏は備後以外にも多くの所領が有り陸奥国桃生郡にも地頭職を有し庶流山内首頭氏が領していた事が知られている。しかし会津横田に関しては中世以来の小文書を伝えている中に全く現れて来ない。(略)横田山内氏は奥会津の領主として存在し独立した外交権を保持していた」
そして最後に「横田山内氏については追う事が出来なかった」と筆者は結んでおりました。
との事から土佐山内氏は会津に所領を有していなかった、すなわち関係は無いと言う事になりましょうか。
0101eikoさんのお陰で色々調べておりましたら色々と興味深い内容が出て参りましたので後でゆっくり読んでみようかと思いました。感謝です。
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