たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

(4)黒沢池ヒュッテを巡って下山

2023年08月12日 | 心に残る思い出の山

続き

  

火打山頂からは急な雨に祟られたが歩いている内に雨は止みガスも薄れて来た。約1時間15分歩いて高谷ヒュッテにデポした荷物を回収し黒沢池ヒュッテ経由で帰ろうと言う事に。途中、何処が頂上なのか判らない茶臼山(2171)から下方を見ると黒沢池が見える、ヒュッテは恐らくあの池の端辺りに在るに違いない。花を見ながらの下り道、足取りは軽かった。花はツバメオモトに似た花だったが、勿論違う。

   

オヤマリンドウ           クルマユリ

 

茶臼山を越え雪渓に驚きながら約1時間、予定通り1時間のタイムでヒュッテに到着。ヒュッテは8角形の一風変わった3階建ての小屋である。小屋主の話ではここは霧が溜まる場所で有るらしい。  小屋前には今宵此処に止まる者、行動途中の者とでごった返していた。私達はテーブルをお借りし、ここで昼食とした。

足元にワタスゲが揺れる

    

モウセンゴケ          チングルマの花後

ここの湿原は天狗の庭とは植生が異なれば雰囲気も違う。二つの味わい深い湿原を観られるのが頸城山群の魅力になっているのかもしれない。

   

            フウロソウ

   

イワショウブ            アザミ

   

               ウツボグサ

笹ヶ峰ロッジ 1泊2食 2名→16117円

乙見湖(笹ヶ峰ダム) ここから眺める妙高、火打は素晴らしい。今回の登山で頸城山群は全て踏破した事に。

入り口から2キロ 落差約55mの苗名滝にやって来た。滝の音が地震に似ている事から別名、地震滝とも言われているとの事。滝壺まではちょっとした冒険だった。

いもり池

標高750mに在るいもり池一帯は嘗ては池は無く約20haに及ぶ湿原と沼地であったが昭和2年、湖底を浚渫して池の面積12295㎡に広げ今のいもり池になった。

 

    

春には水芭蕉やミツガシワが群生する様だが今はそのいもり池を睡蓮が飾っていた。

この湖は何処だったか、アルバムに記されていない。右側にシャツを着た男性の姿、泳いでいるのか桟橋から落ちたのか(笑)今となっては知る由も無し。コメント欄はお休みします。長い記事になってしまいましたがお付き合い有難うございました。


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5 コメント

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ミウルさんへ (たか)
2023-08-16 12:20:33
こんにちわ、ミウルさん
ここに記された山は私にとりましても思い出の山ばかりです。
高川山は山友8名(?)で登った山で山頂に至るまでは変化の無い山でしたが山頂で富士を眺めての憩いの一時は今でも懐かしく思い出されます。
私は皆の話し声を子守歌に寝てしまった程でした。ミウルさんが高川山のお近くにお住まいとは⁉
五頭山は登山口を変えて二度登っております。その後だったと思いますが五頭山の遭難事故は私も新聞で読みました。胸に詰まる事故でしたね。

今日は女峰山を取り上げてみたいと思います。
返信する
Unknown (ミウル)
2023-08-15 22:37:53
思い出山行まとめ(順不同)
天城山(万二郎岳〜万三郎岳)
 1989年11月11日
 1993年12月26日
 天城高原ゴルフ場から周回コース
 ヒメシャラ、馬酔木、椿など伊豆らしい植生
 石楠花の花期に訪れたい山です
高川山
 1989年10月8日
 家から1時間ほどの近くです。
 特長がなく、記憶が朧げです
 中央瀬沿線では、滝子山、本社ケ丸、鶴ケ鳥屋山な
 どへ行きました。
会津駒ヶ岳
 1993年7月22日
 檜枝岐から会津駒ヶ岳〜中門岳〜大津岐峠〜キリン
 テ(バスで檜枝岐)
 中門岳周辺の池塘の花を満喫
 湯の花温泉に宿泊し、翌日田代山の頂上湿原を楽し
 み帝釈山往復。
明神ヶ岳、明星ヶ岳
 1988年5月3日
 家族で、大雄山最乗寺から
 草原状の山稜から金時山、富士山の眺望が良い
 下山後、宮城野温泉会館の湯が最高
五頭山
 未踏ですが、2017年11月に観光ツアーで阿賀野川
 船下りをした際、五頭連峰をガイドさんから聞
 いて、その時は、千mに届かない変哲のない山
 で、印象に残らなかったが、翌2018年5月、五頭連
 峰で遭難の報道を目にして、あの山でと思い出し
 た。
 5日に、父(37)と小1男児(6)が松平山で遭難し、行方
 不明で捜索中とのことで、29日にコクラ沢で父に負
 被さる形で遺体が発見された。死因は低体温症。
 松平山コースは、熟練の上級者向で、道迷いで沢に
 下り遭難したようだ。登山口から往復5時間かかるが
 登山口に午後1時と、遅い入山のうえ軽装であった。
 5日夕方、父の父親へ道迷いでビバークすると通話、
 翌朝、これから下山すると連絡あり、その後応答な
 く、父親が駐在へ遭難の恐れありと通報するが、初
 道捜索が9時間遅れ、位置情報が共有されず、捜索場
 所誤ったことなどが重なり、不幸な結果を招いたよ
 うだ。
私も、小学生の息子を連れ、八ヶ岳や鳳凰三山などのやや上級者向コースを踏破したので、この遭難報道は印象に残ります。
 
 
返信する
ミウルさんへ (たか)
2023-08-15 00:40:03
タイトルの所、「ミウル」と呼び捨てにしてしまいました。申し訳ございません。
返信する
ミウル (たか)
2023-08-15 00:11:04
ミウルさん、お久し振りです。どうしてるかな?と思っておりましたが、こうして又コメントを頂けてとても嬉しいです。
頸城山系の山、やはり登られてましたね。
私は妙高山(10月)、火打山(8月)と別々に登りましたが、それを縦走されたとは奥様の健脚振りと共に驚きです。
それにも増して地元の方の足の速さは、目的が別でもカモシカ並みでは無いですか。
もし、その方の案内で入山したら私などきっと怒鳴られっぱなし、鳴きながらの登山になってしまう事でしょう。
黄金の湯は妙高登山の時に2名の女性が入っているのを横目で見て通り過ぎましたが奥様同様、私も入る勇気は有りませんでした。

私が火打山に登ったのは8月3日~4日。そんな事からも、こうして語り合えるご縁を不思議に感じております。
返信する
Unknown (ミウル)
2023-08-14 19:58:56
久しぶりです。思い出山行にコメントしようと思いながら、昔の記録を探すのが億劫で、そのままになっていましたが、火打山はとても好きな山、重い腰をあげました。
1987年8月2日、前日高ボッチと鉢伏を歩いた子どもたちは、拒否して実家で留守番。火打山〜妙高山の縦走なので、電車で妙高高原駅〜バスで終点笹ヶ峰停へ。火打山頂で小3の我が息子と同じ父子連れ、下山途中母子連れ(疲れた小3女子はその先で座っていた)に会い、動かないよう伝言した。ミヤマハンノキの根元に生えるオニク(糖尿病に効能?)採取の地元の長靴中年男性2人(酔っ払い)に会い、笹ヶ峰からの所要時間を聞かれ、3時間半と答えると、“バカ言うな、俺は1時間半、富士見平まで45分”、と我らの半分以下に驚く。天狗の庭、高谷池、黒沢池の池塘群の高山植物の花々を楽しみ、黒沢池ヒュッテに宿泊、夕食(手をかけた家庭料理で美味しい)は内容不明だが、朝食はコンビーフ入りチャーハン、スープ、コーヒーの山小屋には珍しく、コメントされた方の言うように洋食が特長。
翌日、急登を妙高山へ。天狗平経由で麻平分岐先で称名滝、光明滝を楽しみ燕温泉へ下り、黄金の湯(無料露天風呂)に60〜70代高齢女性5〜6人と混浴、汗を流し爽快。道端で登山者に丸見えが嫌と妻は入らず。帰路は、バスで妙高高原駅へ。苗名の滝(日本の滝百選)は未見ですが、以前から行きたい所です。妙高山を映すイモリ池はその後、赤倉温泉を観光で訪れ、妙高登山を思い出しました。
翌々日の5日、家族で湯の丸山〜強風と濃霧の烏帽子岳へ登り高峰温泉へ宿泊、タフな行動力に我ながら感心しました。
たかさんの山行記に触発され、滅多に捲らない記録を目にし、36年前の記憶が蘇り、懐かしさを覚えました。
昭文社のエリアマップ内側に、妻が仲間と1999年に行った際の高谷池ヒュッテの領収証(素泊3500円)があり、なんと8月2日、偶然に同日でした。
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