雲は多いものの青空の覗く12日、北の黒雲が気になりますが洗濯物を干したまま今日もウォーキングに出かけます。
テイカカズラ
妙福寺参道
私が子供の頃、近所の子たちと連れ立って僅かなお小遣いを貰い縁日に訪れた事が有りました。子供の足ですから片道2時間以上かかった筈ですが寒さの中、きっと鼻水を垂らしながら歩いていたのでしょう。
今、初めて知った矢原の地名の由来です。そう言われればここは長野軍と武田軍の激戦地、この辺りにはお墓が数多く点在しておりますし今は住宅が密集しておりますが嘗て火葬も行われていた場所でもあります。
寺の古さを物語るモミジの大木。この様な木が境内にたくさん見られました。
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キンシバイ
途中の運動公園を一巡り
川沿いに咲いていたヤマボウシ
田植え期が影響しているのか水かさが何時もより多く流れも速いです
南の空を見ますとあの辺りは藤岡、秩父方面でしょうか。局地的大雨に見舞われている様です。雷鳴も轟いておりました。そろそろ帰った方が良さそうです
その後、この雲は東に移動しながら霧散し夜には雲一つない空となり冴えわたる月が辺りを明るく照らしておりました。
鬼を冠しているので何となく恐ろしいイメージが有りますね。 人間は改心すれば仏の足元で生きられると言う教えなのでしょう。
その縁日の意味も分からず友人の「行ってみない?」の呼びかけに4~5人で連れだって長い距離をお喋りしながら歩く姿は今では到底考えられない行動ですね。
此処から更に1時間くらい先ですから片道3時間くらい掛けてセリ採りに行ったことも有ります。5月ゼリは虫が湧くと聞いていましたので時期は4月だったでしょうか。場所は先日、オオバンを挙げた鳴沢湖です。夜、母親が撮って来たセリを「ありがとうね」と言って拵える姿を誇らしげに眺めたものでした。
ムラサキツユクサ、綺麗な花ですね。私も紫色は良く見てましたが今回、白やピンクを始めて目にしその美しさに見とれました。いちごみるくさんのお家も早く咲くといいですね。日陰では花付が悪いそうですから、なるべく太陽を浴びる場所がいいみたい。
昔読んだ漫画に鬼子母神が出てきて内容は
忘れたのですが鬼子母神=ザクロのイメージが
強かったです。それだけは覚えていました。
怖いなぁと思っていた鬼子母神でしたが
続きがあったのですね
往復4時間は気の遠くなるような距離ですね
その距離でも子どもたちが行きたくなるような
魅力的な縁日だったのですね
もうつゆ草が咲いているのですね
庭にもムラサキツユクサは咲くのですが
まだ見掛けません。
ムラサキツユクサしか見たことないと
思いますが色々な色のつゆ草があるのですね
白いつゆ草など綺麗ですね
Kさん、私 雲の動きが読めるのです(なんて)。だからこの辺りは先ず心配ないだろうと読みました。
鬼女伝説は伝説のみならず今の世にも存在しているのが恐ろしい事ですね。特に現代の鬼女は諭しも通じない鬼女ですものね。
Kさんは歴史がお好きなのですよね。確かに踏み込めば踏み込むほど面白いのが歴史だと思います。
元教育長さんはお歳で今年になってから姿を見せませんが、もう少し早くに知り合っていたら長野氏の事も詳しく学べましたのに残念です。
Kさん、ほら、雲の動きが読めると言ったのはあながち嘘では無かったでしょ!洗濯物もカラカラに乾いておりました~(^_-)-☆
集中豪雨の恐ろしさを見せつける雲ですよね。
此処を除いては晴れているだけに、この様に一点集中型と言うのは一層、不気味な感がありますね。
今の様に車で行けば15分もかからない距離ですが車と言えばバスやタクシーしかなく自転車が主流だった時代、今、思えばあの距離を良く歩き通したものだと我ながら感心してしまいますが子供は歩く事など苦にしない時代だったのでしょう。 現代っ子には到底、真似のできない事ですよね。
蝶の写真、褒めて頂き有難うございます。
動きのある写真が写せたらなお良かったのですが私には無理でした。勉強しなくては!
鬼女で有った鬼子母神に命の大切さを説きたくさんの実を持つザクロを与えたのですよね。
貧しさゆえか元々の性格なのか分かりませんが
この様に鬼の心を持つ人間が今でも存在している事が悲しいですね。
「銀も金も玉も何せむに まされる宝 子にしかめやも」
ふと山上憶良の唄が浮かんで来ました。
度胸いいですね(笑)
鬼子母神が他人の子を奪って食べてた夜叉女だったなんておったまげました!
>長野軍と武田軍の激戦地・・・
こんな歴史が出てくるのがたかさんのブログの魅力ですね。
>この様な木が境内にたくさん見られました。
たかさんは、生まれ育って家で今でもお暮しなんですか?
だとしたら、羨ましいかぎりです。
お~っ、我が家は日蓮宗です!
>途中の運動公園を一巡り
なんと素敵なウォーキングコース
>そろそろ帰った方が良さそうです
洗濯物が濡れてしまう!
「霧散し」なんて言葉使われるって格調高く感じます。
雨は全く降らなかったんですね!
いやー、今日も勉強させていただき感謝です。
静岡は局地的な豪雨に見舞われ道路が冠水した所も有った様です。
イケリンさんはご無事で何よりでしたが最近こうしたゲリラ豪雨がアチコチで発生する様になりましたね。
雨もしとしと降るのでしたら「梅雨だから」で済ませられますが災害をももたらす様な集中豪雨は勘弁して貰いたいものです。
長年、住み着いていても知らない事って多いですね。
この説明に目を向けなかったら一生、矢原の由来を知らずに過ごすところでした。
此処は急に住宅が増え、その殆どが「根っこ」の人では有りません。私が住む明屋の由来が判らずにいる様に、ここに住む人の何人が矢原の由来を知っている事でしょうか。
明屋(元、城下町から私の住む所まで広範囲に及びます)も何らかの意味があって付けられた筈ですよね。
今度、元学芸員さんにお会いする事が有ったら尋ねてみようかと思っております。
最後の空の写真のすごさ!!
怖いくらいです。(^^;
縁日、子供の足で2時間ってかなりですよね。
遠くても楽しいことが待っているならなんのその・・
懐かしい思い出ですね。(´艸`*)
前回の蝶々の写真、どれもピントが合っていて素晴らしい♪
あれだけの写真ってなかなか撮れませんよ~! (^^)/
それとあちこちにあるのですね。
わたくしは、入谷の鬼子母神しか知らなくて。
柘榴との関係もあって、お釈迦さまが与えたとありました。
貧しい暮らしの中では、子どもを売ったりだったのでしょうか?
箕輪城下町には4つもの宿があったのですね。
これを見ても戦国時代の賑わいぶりと
矢原という宿名の由来から、激戦の場でもあったことがうかがえますね。
地名にも、その土地の歴史が反映されているようで興味深いものがありますね。
このところの天気の急変ぶりには驚かされます。
昨日静岡県方面に出かけてきたのですが、晴天だつたのが突然大粒の雨に
変わって驚きました。幸いにも車に乗って帰る時だったので難を逃れることが
できたのですけれどもね。