「続き」
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しまなみ海道から尾道に入り駅前の大きな駐車場に車を納める迄の大変だった事
と言うのはナビに駅を設定し指示に従って走っているにも関わらず
鄙びた山間部に行ってしまったり住宅街の路地を走らされたり
かと思えば元の道に戻されたり、こんな事は旅が始まって初めての事です
後で聞いた話に寄れば「しまなみから尾道に入った直後がややこしいんですよね」なのだと
そんな事で疲れ果ててしまった私達は完全に観光意欲をなくしてしまいました
とりあえず線路を横切ってお目当てはガウディハウス
線路を渡り切った所で丁度やってきたご婦人にガウディハウスを尋ねましたところ
「お寺巡りがいいですよ」と言うばかりで教えてくれた道は全く逆方向でした
この時点でご婦人の頭の中には寺が・・・ 私達はその寺の方向に目的のハウスは在るのだろう・・・と
ちょうど下校時間でした 元気な声が飛び交っています
上にお城が見えますね、あの城は一体??
こんな物が在りました 説明版によりますと ↑
「江戸時代の終わり頃 みなと尾道の発展によって千光寺山の中腹にまでも住宅地は広がっていきましたが
坂のある暮らしは様々な困難が伴います。 水の確保もその一つで井戸水を生活用水として
多くの人が利用できる様に「二階井戸」として工夫され大切に守られてきました
上水道が発達した今では殆ど使われなくなりましたが当時の暮らしを知る貴重な文化遺産です」
何も知らずに行き当たりばったりの参詣でしたが、後で調べてみますと結構、由緒正しい寺だった様です
ただ腑に落ちないのが
入口が違ったのかこの門が見られなかった事でした
解っていれば探したのでしょうが下調べして行かなかったばっかりに
ここを潜って延命を祈願する事は叶わなかった訳です(笑)
この門は「大石門」と言い裏山の日輪山で切り出した36枚の花崗岩で作ったものなのだそうです
読んでみますと元々は天台宗の寺として始まり室町時代に現在の浄土宗に改宗されたのだとか
そこへ、やって来た親子
雄さんも私も話を聞くまでは女性の仲良し同士で観光しているものとばかり思っていたのですが
何と親子で有ったとは(後に写真あり)・・・
しかもてっきり女性だと思っていたもう一人の人物が男性で有った事に二度ビックリ
大学生である息子さんの下宿先を尋ねたついでに
こうして周辺を案内して貰っているのだと言うホットな親子だったのです
持参していた周辺地図を「お使い下さい」と言って下さったので遠慮なく戴き
親子とは此処で別れ一端線路沿いの道に戻ります
尾道の裏側の駅は、こんな感じ
ここを通り過ぎて親子が教えてくれた肉屋さんの角を右折しますと
右上に目的の建造物は有りました
これがガウディハウスです
昭和8年に和泉家別邸として一人の大工さんが3年かけて造りあげた建物で広さは僅か10坪
三角形と言う形状の敷地に張り付く様に建てられておりました
跡継ぎも無く25年間空き家のままだった為に老朽化し解体の危機にあった所を
それでは忍びないとプロジェクトチームが保存の為に立ち上がったと言う事で
現在は一部、青いシートが掛けられています
と言う事で内部を観る事は出来ませんでしたが外観だけでも一見の価値は在った様に思います
この辺り、大正末期から昭和にかけて、この様にハイカラな家が建てる事が流行った様ですね
右の写真、先ほどの親子です (掲載、了承済み)
どうです?親子に見えますか?男の子に見えますか?
尾道と言えばラーメンですね
あまり宛にならなかった最初の御婦人が教えて下さったサッパリ系とコッテリ系のお店を探して
尾道本通りに入ります
教えて頂いたコッテリ系のお店はお休み、サッパリ系のお店は見つける事が出来ませんでした
そして海沿いに在ったラーメン店の暖簾を潜りますと 「いらっしゃいませ~」
全員が若いスタッフばかりのお店でした
こういう時にはスタンダードな醤油ラーメンに限ります
昔の銭湯の様ですね
この景色 ヨーロッパの家の連なりに良く似てる!
林芙美子さんの放浪記の記念碑を見ました
林芙美子さん自身の放浪生活の体験を書き綴った名作で森光子さんの代表作でもありましたよね
結局、私達は尾道で有意義な時間が過ごせたのでしょうか
迷路の様な坂道をただ彷徨っていただけの様な気もします
疲れました!
桟橋の見えるプチ公園のベンチに腰を下ろし、しばしボーッと海を眺めていました
自転車を押す学生が次々にやって来ます、そして連絡船に乗り込んで行きます
対岸の向島とは僅か200mの距離なのだとか
あの子達は毎日こうして通っているんですね
目の前のベンチには小学生の物と思われる画板が二つ
風にさらわれない様、重しを置いて置き去りにされています
そんな尾道の日常を目の隅に置きながら何故か頭は空っぽでした
18時27分 本日の露天宿は笠岡の道の駅「笠岡米ファーム」です
丁度、大きな太陽が沈む頃でした