昨夜観た、フジTV報道スクープSP「激動!世紀の大事件V」。
開局55周年特別企画からスタートした『報道スクープSP激動!世紀の大事件』は、
年末恒例の特番になって今年で5回目。
「和歌山毒物カレー事件」…林真須美死刑囚の長男の証言(関連記事:産経WEST 207.4.26.)
「八王子・スーパーナンペイ事件」…被害者のひとりの周辺人物の証言
「東電OL殺人事件」…当時の被害者を知る証言者の話
忘れようにも忘れられない、あの3つの事件のスクープもそれぞれ強く印象に残ったが、
番組最後に登場した
昭和天皇が大量吐血…命の危機に立ち向かった医師がテレビ初告白
「陛下にがんを隠し続けたワケ」知られざる天皇崩御の舞台裏
は、癌で亡くなった(昭和64年1月7日6時33分崩御)昭和天皇の最晩年を知る当時の侍医らや侍従の証言が深く心に刺さった。
それは帝王学によるものなのか、嘔吐の後、どこか痛むか聞いても「痛いってどういうこと?」
十二指腸が何らかの腫瘍によって押しつぶされ、縫い針ほどの細さになり、
食べ物の消化が困難な状態に陥った状態なのに辛抱していたり、
極めつけは、吐血の直後にも関わらず「今夜は満月だよ。そこを開けてごらん。綺麗だよ」
普通の病人の感覚とは全然違ったという。
病の床で「もう、ダメか…」という言葉の意味は、
自身の容体ではなく、昭和天皇が最後まで訪問を切望していた、
日本で唯一地上戦が行われた沖縄に行けずに死ぬこと。
☟最後になった公務の戦没者追悼式 ☟いつもポケットに入れて持っていた「沖縄復帰記念メダル」。
昭和天皇は、戦争に限らず、日本人の総(あら)ゆる罪を背負って、
死よりも重い重責を背負って生きた被害者 なのではないか… との伊東侍医(当時)の日記の文章で締めくくられた。
どんなに辛くても苦しくても自殺することもできない、戦後40年あまりの重責。
少し想像してみただけでもあまりに重すぎて…言葉ではとても言い表せない。
開局55周年特別企画からスタートした『報道スクープSP激動!世紀の大事件』は、
年末恒例の特番になって今年で5回目。
「和歌山毒物カレー事件」…林真須美死刑囚の長男の証言(関連記事:産経WEST 207.4.26.)
「八王子・スーパーナンペイ事件」…被害者のひとりの周辺人物の証言
「東電OL殺人事件」…当時の被害者を知る証言者の話
忘れようにも忘れられない、あの3つの事件のスクープもそれぞれ強く印象に残ったが、
番組最後に登場した
昭和天皇が大量吐血…命の危機に立ち向かった医師がテレビ初告白
「陛下にがんを隠し続けたワケ」知られざる天皇崩御の舞台裏
は、癌で亡くなった(昭和64年1月7日6時33分崩御)昭和天皇の最晩年を知る当時の侍医らや侍従の証言が深く心に刺さった。
それは帝王学によるものなのか、嘔吐の後、どこか痛むか聞いても「痛いってどういうこと?」
十二指腸が何らかの腫瘍によって押しつぶされ、縫い針ほどの細さになり、
食べ物の消化が困難な状態に陥った状態なのに辛抱していたり、
極めつけは、吐血の直後にも関わらず「今夜は満月だよ。そこを開けてごらん。綺麗だよ」
普通の病人の感覚とは全然違ったという。
病の床で「もう、ダメか…」という言葉の意味は、
自身の容体ではなく、昭和天皇が最後まで訪問を切望していた、
日本で唯一地上戦が行われた沖縄に行けずに死ぬこと。
☟最後になった公務の戦没者追悼式 ☟いつもポケットに入れて持っていた「沖縄復帰記念メダル」。
昭和天皇は、戦争に限らず、日本人の総(あら)ゆる罪を背負って、
死よりも重い重責を背負って生きた被害者 なのではないか… との伊東侍医(当時)の日記の文章で締めくくられた。
どんなに辛くても苦しくても自殺することもできない、戦後40年あまりの重責。
少し想像してみただけでもあまりに重すぎて…言葉ではとても言い表せない。
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