私が9歳の誕生日を迎えてまもなく、母は心臓弁膜症により40数歳の生涯を閉じました。
1960年12月29日のことでした。
このように半世紀もの昔のことでもあり詳しいことはわかりませんが、先天性またはリューマチ熱の後遺症から発症したものと思われます。
母が亡くなった頃から人工弁置換術が始まったようですが、その恩恵にあずかることはできませんでした。
それから50年、息子の私も心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症)の診断が確定し、このほど弁形成術を受けました。
僧帽弁閉鎖不全症と診断されたのが2010年6月末、入院したのが9月7日で診断確定から入院まで2ヶ月ほど時間がありました。この2ヶ月間はひたすら
僧帽弁閉鎖不全症を含めた弁膜症のことを調べたり
治療法について調べたり
体験者のブログや掲示板を読んだり
しました。その結果、入院時点ではほとんどの不安は解消され、手術室の前で家族に笑顔で手を振りながら、中に入っていくことができました。
特に手術体験者の方々のブログについては参考になりましたし、大いに勇気づけられました。
心臓弁膜症といっても病態はいろいろあり、自分の病名に沿ったブログは決して多いとは言えない状況なので、私自身の体験がこれから手術を受けられる方やそのご家族に少しでも参考になればと、ブログを開設することにしました。
母の死から半世紀が経った現在は、弁置換術のみならず弁形成術も普及し、弁膜症も決して怖い病気ではなくなってきています。
退院した現在、あらためて振り返ってみると心臓手術そのものが、一般にイメージされる命を賭けた特別な手術でも無くなってきているように感じた次第です。
1960年12月29日のことでした。
このように半世紀もの昔のことでもあり詳しいことはわかりませんが、先天性またはリューマチ熱の後遺症から発症したものと思われます。
母が亡くなった頃から人工弁置換術が始まったようですが、その恩恵にあずかることはできませんでした。
それから50年、息子の私も心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症)の診断が確定し、このほど弁形成術を受けました。
僧帽弁閉鎖不全症と診断されたのが2010年6月末、入院したのが9月7日で診断確定から入院まで2ヶ月ほど時間がありました。この2ヶ月間はひたすら
僧帽弁閉鎖不全症を含めた弁膜症のことを調べたり
治療法について調べたり
体験者のブログや掲示板を読んだり
しました。その結果、入院時点ではほとんどの不安は解消され、手術室の前で家族に笑顔で手を振りながら、中に入っていくことができました。
特に手術体験者の方々のブログについては参考になりましたし、大いに勇気づけられました。
心臓弁膜症といっても病態はいろいろあり、自分の病名に沿ったブログは決して多いとは言えない状況なので、私自身の体験がこれから手術を受けられる方やそのご家族に少しでも参考になればと、ブログを開設することにしました。
母の死から半世紀が経った現在は、弁置換術のみならず弁形成術も普及し、弁膜症も決して怖い病気ではなくなってきています。
退院した現在、あらためて振り返ってみると心臓手術そのものが、一般にイメージされる命を賭けた特別な手術でも無くなってきているように感じた次第です。