還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

入院7日目--9月13日(月)-2

2010年11月01日 | 入院(手術前)
ICUの看護師さんの次は、リハビリの先生がお越しになりました。
詳しい内容は術後に説明します、としてあらましをごく簡単に説明いただきました。

最後は手術室看護師さんの説明です。
全身麻酔で手術を受けられる豆パパ様へ
という、A4サイズの説明書を元に
病棟から手術室入室まで
手術室入室後
麻酔
の三段階に分けて説明いただきました。

入室は(歩行・車椅子・ベッド)と書かれていたので、確認したところ車イスで入室するそうです。どちらにしてもストレッチャーではないようです。
それと事故防止を徹底するために、名前、手術する臓器および臓器の部位(私の場合は僧帽弁)を自分から言うことになっています、と聞かされました。

これで説明はすべて終わりです。
脈拍を見ると64、朝は59でしたので、特に緊張はしていないようです。
元々は緊張屋さんでしてことある毎に心臓バクバクだったんですが・・・・?
こんなに落ち着けるのも家族や先生、看護師さんのおかげですね。感謝感謝。
あるいは心臓が限界でバクバクする元気もないのか?

その後はICUに持ち込む物品をピックアップし、名前書きをしました。
ICUは入院時に持ち込んだ荷物を全部置けるスペースはないので、持ち込む品々は指定されます。身の回りのものに限られますし、たかが数点ですから名前書くのもすぐに終わります。

日記によるとこんなことが書いてあります。
遠足に行く気分、術後少しは苦しいのだが、なんだかワクワクする
これは生まれ変わるための試練か
今読み返すとちょっと気恥ずかしい・・・・

夕方二度目の医長回診?。鈴木先生が
「豆パパさん、明日ですね」と、笑顔で『心配しなくて大丈夫ですよ』と言いたげな表情で声をかけてくれました。

デイルームに行き、妻に電話しました。手術が近づきいろいろ不安だったようで、特に昨日面会後帰宅してからは相当落ち込んでいたらしい。私の前では気丈に振る舞っていたのですね。
そんなこととは全く気づかなかった私ですが、今朝電話してからは少し元気になったと言ってました。
そうなんですよね。
病人本人は自分のことなので覚悟やらある種の諦めやら気持ちの整理も付けられますが、家族は自分のことでないだけに、なかなか難しいものがあると思います。

診断が付いて手術不可避となったときから、妻はとても心配してくれていました。
心配が過ぎて、私に何もさせないように気配りしてくれるので、
それでは私が身も心も病気になってしまうので、今まで通りに接して欲しいと頼み込みました。
それでもなかなか割り切れなかったようですが、私が病人らしく振る舞わないので、妻は呆れてしまったのか、心配するのがバカバカしくなったそうです。
それでもいざ手術が近づくと心配になってしまうものなんですね。

ところで久しぶりに娘からメールが来ました。
仕事休んで明日の手術に妻と一緒に来てくれるのですが、ICUで寝ているときの写真を撮っておいて欲しいと頼んでおいたんです。ただし撮る前には許可を取ってからと。
カメラもカバンに入れたし、準備は完璧だよって。

夕食後はT字帯を付ける練習をして、その後爆睡しました。
睡眠剤必要なら呼んでねと看護師さんに言われていましたが、不要でした。
入院後2番目によく眠れました。1番は退院前日でしたが・・・・

次回より手術編です。