還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

手術日--9月14日(火)-2

2010年11月03日 | 入院(手術~ICU)
手術室は全部で15室あり、うち2室がクリーンルーム仕様となっています。
ほぅ、大したもんだと聞いてたら、心臓の手術にはそのクリーンルームを使うそうです。
半導体や液晶の製造はクリーンルームで行われ、私も仕事で入ったことがあります。
手術室のクリーンルームってどんなんだろう?
エアシャワーを浴びて埃を落として入室するのだろうか?
半導体工場などではそのようになっているんですが・・・・
そしてこのドアから入って、土間みたいなところを過ぎると小上がりになっていて、その手前で車イスから降ります。スリッパも履き替えて、誘導されるまま手術室まで歩いていきました。
ううう、さすがに鈍感な豆パパさんも緊張してますよ・・・・もうすぐまな板のコイ。それともイワシ?
そういえばエアシャワーなど無かったなあ。。。まあ、いいや、仕事じゃないし(笑)

手術室はかなり広くて全体的に銀色で無機質な感じで、寒いくらい冷房が効いています。
キョロキョロ周りを見渡しましたが、スタッフはみんな大きなマスクをしているので知った顔はわかりません。人数もよくわかりませんでした。人工心肺がどこにあるかもわからずじまい。
さてさて、ゆっくりはさせてくれません。
さっそくリストバンドをチェックされました。そして教えられた通り
お名前は?
豆パパです。
どこの手術ですか?
心臓です。心臓の僧帽弁の手術です。
あぁ、ちゃんと言えた・・・・ほっ

手術台に乗るときはまず三段くらいの台に乗って手術台に腰掛け、それから体を回します。
手術台って狭いんですよ。肩幅プラスα程度かな?
しかし、寒いわ・・・・と思っていたら、暖かいシートをかけられました。
おー、こりゃ暖かくてええわ、と思いきや、一瞬の早業で手術着をはぎ取られてしまいました。
わぁ~~、恥ずかしいよー? って、今さら何を。

さて、これで前準備の前準備完了。
これから体にいろいろ付けられます。
心電図シール5箇所
血圧計のカフ
両腕から点滴--麻酔の初めは点滴のバイパスから入れられます。
酸素メーター(酸素飽和度測定)
酸素マスク
ここまでは正気です(笑)

ここで、麻酔を入れます、と声がかかりました。
麻酔薬が体に入るまではまだ意識がありますが、再度声がかかると1~2秒で意識がなくなりました。
意識がなくなる寸前
「よろしくお願いしまーす」と言ったつもりですが、果たして口に出せたのかどうか?
ここまでは記憶があり、以後ICUで目覚めるまでのことは麻酔説明書や手術報告書等からの転載です。

気管挿管--全身麻酔すると自発呼吸が無くなるため人工呼吸に切り替え
肺動脈カテーテル
経食道心エコー用プローブ
鼻から胃にチューブ--心エコーもあるので絡まないのか?
導尿管
その他--よくわからない、左手首の動脈からカテーテルを入れ、血圧を測っていたらしいが?

心臓の手術操作については、写真を入れていこうと思います。
僧帽弁形成を撮影したビデオ(DVD)をいただいていますので、いくつか取り込んで、と思います。
弁部分の拡大ですから、怖くないです。

手術日--9月14日(火)

2010年11月02日 | 入院(手術~ICU)
今回の入院でもっとも濃い日がやってきました。そうです、いよいよ今日は手術日です。
ただし、記憶は薄いんですが・・・・9時前には眠ってしまったからです。
ベッドの壁には昨夜からこんな札がかかっています。
食べるな、飲むな(笑)
今日は三食抜きです。

朝は普通に目が醒めました。手術の直前って浣腸することが多いのですが、入院してから浣腸の話がないので・・・・剃毛もないのですから、浣腸も無いかもと勝手に判断して、トイレに行って腸を空っぽにしてきました。これで迷惑かけることもないでしょう。
歯を磨く必要はありませんが、ヒゲは剃りました。身だしなみは大事です。

T字帯は7時過ぎに付け、昨夜看護師さんが届けてくれた手術着に着替えました。
あー、いよいよ手術なんだ~~~ 豆パパさんの心臓が生まれ変わる記念日です。
そして荷物の最終整理をしていると看護師さんが来られたので、ICUに持って行く品物の入った紙袋を渡しました。そしたらこれも要らんあれも要らんと(笑)、だいぶ減らされました?

そうこうしているうちに妻と娘がやってきて、お父さん、私達が付いてるから大丈夫だよ、みたいなことを言ってます。
私のいるD310号室は私ともう1人のMさん(年齢は1つ違い)が本日手術を受けることになっていて、Mさんの手術内容は冠動脈バイパス手術です。

8時15分頃浅井先生が部屋に来られ、先にMさんと挨拶を交わしています。
その時、妻と私、娘と私でピースしながら写真撮っていました。浅井先生は続いて私のベッドにお越しになり、挨拶を交わすと
「私も撮ってくれる?」と仰り、私と握手しながら写真を撮りました。これは家宝です、はい。
妻が、帰国直後で、時差ボケは大丈夫なのですか?
と聞いてみると、飛行機の中で調整しているから大丈夫ですよ、と。

いつの間にか、車イスが部屋の入り口に。
それに乗り込み、いざ出陣です。8時20分でした。それにしても慌ただしいです。
写真は病室を出たばかりです。病棟を出てそのまま同じ3階の手術室まで2~3分です。

そして下のは、手術室前に到着したときに娘に撮ってもらったもの。ぶれているのを幸い顔を隠さないで出します(笑)
この時、通りがかりの女性から「がんばってね」とエールをいただきました。

そして、手術室に入室です。
この時の看護師さんの決めぜりふ「ご家族の方はここまでです」
ドラマと同じですよね。

手術室の入り口は何とも殺風景? な、ただの鉄の扉です。
しかも、手術室という看板もありません。知らなければ、素通りしてしまいますよ。
まあ、それはそれで良いんですけどね。

入院7日目--9月13日(月)-2

2010年11月01日 | 入院(手術前)
ICUの看護師さんの次は、リハビリの先生がお越しになりました。
詳しい内容は術後に説明します、としてあらましをごく簡単に説明いただきました。

最後は手術室看護師さんの説明です。
全身麻酔で手術を受けられる豆パパ様へ
という、A4サイズの説明書を元に
病棟から手術室入室まで
手術室入室後
麻酔
の三段階に分けて説明いただきました。

入室は(歩行・車椅子・ベッド)と書かれていたので、確認したところ車イスで入室するそうです。どちらにしてもストレッチャーではないようです。
それと事故防止を徹底するために、名前、手術する臓器および臓器の部位(私の場合は僧帽弁)を自分から言うことになっています、と聞かされました。

これで説明はすべて終わりです。
脈拍を見ると64、朝は59でしたので、特に緊張はしていないようです。
元々は緊張屋さんでしてことある毎に心臓バクバクだったんですが・・・・?
こんなに落ち着けるのも家族や先生、看護師さんのおかげですね。感謝感謝。
あるいは心臓が限界でバクバクする元気もないのか?

その後はICUに持ち込む物品をピックアップし、名前書きをしました。
ICUは入院時に持ち込んだ荷物を全部置けるスペースはないので、持ち込む品々は指定されます。身の回りのものに限られますし、たかが数点ですから名前書くのもすぐに終わります。

日記によるとこんなことが書いてあります。
遠足に行く気分、術後少しは苦しいのだが、なんだかワクワクする
これは生まれ変わるための試練か
今読み返すとちょっと気恥ずかしい・・・・

夕方二度目の医長回診?。鈴木先生が
「豆パパさん、明日ですね」と、笑顔で『心配しなくて大丈夫ですよ』と言いたげな表情で声をかけてくれました。

デイルームに行き、妻に電話しました。手術が近づきいろいろ不安だったようで、特に昨日面会後帰宅してからは相当落ち込んでいたらしい。私の前では気丈に振る舞っていたのですね。
そんなこととは全く気づかなかった私ですが、今朝電話してからは少し元気になったと言ってました。
そうなんですよね。
病人本人は自分のことなので覚悟やらある種の諦めやら気持ちの整理も付けられますが、家族は自分のことでないだけに、なかなか難しいものがあると思います。

診断が付いて手術不可避となったときから、妻はとても心配してくれていました。
心配が過ぎて、私に何もさせないように気配りしてくれるので、
それでは私が身も心も病気になってしまうので、今まで通りに接して欲しいと頼み込みました。
それでもなかなか割り切れなかったようですが、私が病人らしく振る舞わないので、妻は呆れてしまったのか、心配するのがバカバカしくなったそうです。
それでもいざ手術が近づくと心配になってしまうものなんですね。

ところで久しぶりに娘からメールが来ました。
仕事休んで明日の手術に妻と一緒に来てくれるのですが、ICUで寝ているときの写真を撮っておいて欲しいと頼んでおいたんです。ただし撮る前には許可を取ってからと。
カメラもカバンに入れたし、準備は完璧だよって。

夕食後はT字帯を付ける練習をして、その後爆睡しました。
睡眠剤必要なら呼んでねと看護師さんに言われていましたが、不要でした。
入院後2番目によく眠れました。1番は退院前日でしたが・・・・

次回より手術編です。