豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

丹羽文雄「鮎・母の日・妻」

2024年12月09日 | 本と雑誌
 
 丹羽文雄「鮎・母の日・妻ーー丹羽文雄短編集」(講談社文芸文庫、2006年)を読んだ。
 これも尾崎一雄「あの日この日」や高見順「唱和文学盛衰史」に出てきた丹羽の紹介で知って読んでみたくなった。早稲田高等学院以来の同門で、志賀直哉を読めと丹羽に助言したのだから、最初に興味を持ったのは尾崎の本を読んだときだろうが、高見の本にも丹羽を褒める新明正道の文芸評のことなどが出ていたので丹羽に対する興味が深まった。

 文壇デビュー作という「鮎」(初出は「文藝春秋」1932年4月)と、「贅肉」(中央公論、同年7月)から読み始めた。執筆は「贅肉」のほうが先ではなかったかと記憶するが、いずれも丹羽とその生母との関係を描いた小説である。
 丹羽の実家は四日市のお寺で、実父はお寺の婿養子だったが、養母である丹羽の祖母と関係を持っていたという。夫(丹羽の実父)が姑と同衾している事実を知った丹羽の実母は、当てつけで旅役者の男と出奔してしまう。その後旅役者に捨てられ、別の男の妾になった。そんな母が、十数年間生活を別にしてきて今は成人して作家を目ざす息子に甘えるのである。
 本書に収録された「悔いの色」や解説を読むと、丹羽は「鮎」の発表によって父の実家と絶縁されてしまったという。このような内情を暴露された家族としては耐えられなかっただろう。堀辰雄も文壇デビューによって、実生活における片山広子親子との交流が崩れたという話だったが、自分の身辺を描く作家にとって文壇デビューは苦いものである。
 ただし、丹羽は、自分を作品の中に投影させずにはいられないが、しかし自分が書くのは私小説ではなく自伝小説であり、現実に起こらなかった可能性を書くと語っているそうだ(中島国彦解説274頁)。げんに、「贅肉」では(妾である)母との復縁を拒まれた旦那は自殺しているが、「鮎」では息子の執り成しで復縁している。
 この 2作品の中心になるのは母(妾)と旦那の関係ではなく、息子と母との関係である。当時40歳すぎだった生母は美貌の人だったようで(丹羽文雄も整った顔立ちの美男子だったから、生母もさもありなんと思う)、男好きのするコケティッシュというか(今風に言えば)フェロモン横溢する女性だったようだ。性格は我が儘で、母が巻き起こすトラブルの数々には読んでいてうんざりさせられたが、若き日の丹羽は根気強くそんな母に対処する。
 ぼくは二人の間にオイディプス的な匂いを感じた。肉体関係が描かれているわけではないのだが、そのような雰囲気が漂っていた。題名の「鮎」も「贅肉」も母の肉体を表現している。

 「秋」「鮎」「贅肉」は大正15年から昭和7年にかけて発表されたもので、丹羽のまだデビュー間もない時期の作品である。これに対して「母の日」「悔いの色」は昭和30年代に書かれたようで(本書には各作品の初出年が書いてない)母の晩年から最期が描かれている(ほかにも数編収録されているが読まなかった)。美しかった母も晩年は認知症になったのか、着衣も着替えず臭気を放ち、部屋も散らかし放題になっているのを丹羽が引き取って、鴨川にある別荘に女中をつけて養った。小説としてはすっきり読みやすく仕上がっていたが、若い日の前 3作品のような筆の勢いは感じられなかった。
 「妻」は、病気がちになった丹羽の妻の闘病とそれを支える丹羽を描いていて、他の「生母もの」とは違って、丹羽自身に忍び寄る老いが描かれている。
 最後の「悔いの色」には、処女作以来全く触れることのなかった実父が「鮎」以来の丹羽の「生母」ものをどのように感じていたのだろうかと、それまでまったく関心が湧かなかった実父の心情に思いをいたしている。実父は小説家になるために四日市の実家を出ていった丹羽に対して帰郷を促すこともなく、丹羽を廃嫡(家構成員の資格と相続人の資格を奪う措置)し、僧籍(丹羽は僧籍を取得していた)も剥奪した。年譜では敗戦の年に亡くなっている。
 結局丹羽は実父をモデルにした自伝小説は書かなかったようだから、小説家的な感興を起こさせるほどの父子関係ではなかったのだろう。実父は念仏の会を主宰していて、とくに「歎異抄」を熱心に唱えていたと「悔いの色」にあるから、あるいは「親鸞」とか「蓮如」には、丹羽の父子関係を背景にした記述があるのかもしれないが、もうそこまで読む気力はない。

 尾崎、高見を読むまでは、丹羽文雄には何の関心もなく作品を読んだこともなかったが、ただ丹羽文雄「小説作法」は買った覚えがある。文庫本だったので、調べると角川文庫版「小説作法」(1965年)というのが古書目録に載っている。表紙がむき出しの写真だが、ぼくが持っていたのにはカバーがついていたように記憶する。小説家になりたいと思っていた頃に買ったのだろうが、丹羽には興味が湧かず、模範例として併載されていた丹羽自身の実作小説も(何だったか)興味が湧かず、放っているうちになくしてしまった。
 尾崎「あの日この日」に出てくる丹羽の修業時代を知った今こそ読んでみたいが、古本屋では文庫本が1000円くらい、単行本は3、4000円もする。これも図書館で済ませよう。
 30歳代の頃には、まさか70歳を過ぎてから丹羽文雄に関心が湧くなどとは思ってもいなかった。もし80歳過ぎまで生きたら何に関心が残っているのだろうか。そう考えると、いよいよ本の断捨離はむずかしい。

 2024年12月9日 記

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