豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

スタインベック「怒りの葡萄」

2025年02月27日 | 本と雑誌
 
 東京新聞2025年2月26日夕刊の「下山静香のおんがく ♫ X ブンガク ✑ 」欄で、スタインベックの「怒りの葡萄」を取り上げていた。
 執筆者は「ピアミスト、執筆家」という肩書で紹介されているが、以前にもサマセット・モームの「クリスマスの休暇」について、作品中に登場するイギリス人ピアニストがロシア系女性から「あなたにはロシアの曲は弾けない」とが難詰される場面を中心に紹介していた。
 今回の「怒りの葡萄」も、オクラホマからカリフォルニアに移住してきた主人公ジョード一家が、わずかな安息を求めてハーモニカやフィドル(どんな楽器?)、ギターを弾きながら「チキン・リール」という曲に合わせて踊る場面を紹介している。「チキン・リール」はアメリカ人作曲家デイリーによるラグタイム調のピアノ曲だそうだ。

 ぼくは1964年10月11日に「怒りの葡萄」(新潮文庫、昭和38年4月第14刷)を読み終えた。下巻のカバー裏にその旨の書き込みがある。1964年10月11日といえば、東京オリンピック開会式の翌日ではないか。開会式が土曜日だったから11日は日曜日、前日とはうって変わって東京は雨が降っていたはずである。
 日付に続けて「I think “East of Eden” is better than “The Grapes of Wrath” 」などと書き込んである。中学3年生の英作文であるが「エデンの東」への思い入れが最高潮だった時期がしのばれる。
 残念ながら、下山氏が書いている「チキン・リール」どころか、主人公のジョード一家が踊る場面の記憶もない。あの頃のぼくたち中学高校生にとっては文化祭で踊る「オクラホマ・ミキサー」や「マイム・マイム」が女の子と手をつなぐ唯一の機会だったから、「怒りの葡萄」にそんな場面が登場したら記憶に残ったのではないかと思うのだが。ぼくの印象に強く残ったのは、シャロンのバラ(大久保訳ではそう呼んでいた)が飢えで死期の迫った老人に乳を含ませる場面だった。
 というより、「怒りの葡萄」で一番印象に残っているのは実は内容ではなく、向井潤吉が描いたカバーの絵である。アメリカ西部の砂塵に煙ったルート66沿いの風景や、ジョード一家と家財一式を乗せた壊れかけのフォードのトラック、夢見てやって来たカリフォルニアの現実に失望するジョード一家の表情など、今でも瞼に浮かんでくる。主人公は明らかに映画「怒りの葡萄」で主人公を演じたヘンリー・フォンダの顔である(上の写真)。たしか新潮文庫版ヘミングウェイ「武器よさらば」の表紙カバーも向井潤吉だったと思う。あの頃以来、ぼくは向井潤吉の描く田舎の風景画が好きである。

 最近の小説をちっとも面白いと思えないぼくとしては、モームとスタインベックを登場させた下山さんに、この二人を取り上げただけでも共感を感じてしまうのである。

 2025年2月27日 記

 追記 書いていて思い出したのだが、ぼくが初めてスタインベックの名前を知ったのは、中学校の国語教科書(石森延男編だったと思う)に載っていた石森の随筆の中に、「赤い子馬」を読んでいる少女が登場して、「赤い子馬」は「スタインベックという人の作品よ」と語っている場面だった。