豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

アン・クリスチネ・ハグベリ選手

2006年02月25日 | あれこれ
 
 オリンピックといったら、ぼくにとっては1964年の“東京オリンピック”がすべてであって、それ以外は、ぼくにとっては“オリンピック”ではない。たとえIOCあたりがそれを「オリンピック」と称したとしても、ぼくはそんなものを“オリンピック”とは認めない。トリノにしてもそうで、あんなものはただの夜中の時間つぶしにすぎない。その割には結構見てしまっているのだが。

 その“東京オリンピック”の何を語りたいかといえば、アン・クリスチネ・ハグベリ選手である。
 知る人ぞ知る、彼女はスウェーデンの水泳選手である。東京オリンピックの女子100メートル自由形に出場して決勝まで進んだが、決勝は8人中の7位におわった。競技が終わって、代々木の国立競技場の電光掲示板に結果が発表される。1位から6位までは場内アナウンスで順位と名前、国名、記録が読みあげられるが、7位と8位はアナウンスの音声のないままに、7th A. Hagbery Swe 1.xx.xxという数字とアルファベットの文字だけが電光掲示板に流れた。
 スペルと記録には自信がない。「アサヒグラフ」の東京オリンピック増刊号を見れば分かるのだけれど、ここでは思い出を書いているのであえて調べない。

 当時ぼくは中学3年生だったが、ハグベリ選手は当時の中学生の間ではマイナーながらちょっとした人気者だった。彼女は、オリンピックの前年に東京で開かれたプレ・オリンピックに出場している。その時に「朝日中学生新聞」(か「毎中」)に紹介されたことがあり、ぼくもその新聞で彼女を知ったのである。
 クラスにいつも「朝中」を持ってきて、休み時間にせっせと掲載された模擬問題を解いている級友がいた。その新聞を横からのぞきこんで、ぼくは彼女を発見したのである。そして翌年、彼女はスウェーデンの代表に選ばれて、また東京にやってきた。

 ぼくたちはテレビ画面を通して彼女と再会することになったのであるが、彼女はふたたび今度は「朝日新聞」本紙に登場した。美しい彼女を朝日の記者は放っておかなかったのだろう。試合前にまさにガウンを脱ごうとしている姿の写真つきであった。
 この記事も手もとにあるのだが、見ないで記憶のままに書いておく。「スウェーデンからやって来た水の妖精」という見出しで、彼女の紹介記事が出ているのだが、「将来は建築士になりたい」という彼女の言葉と、「ガウンを脱ぎすてた両肩は意外にたくましかった」という記者の印象の部分が記憶に残っている。

 その後、ぼくはスウェーデンに留学したり転勤するという友人に会うたびに、五番街のマリーじゃないけれど、あっちに行ったらハグベリさんの消息をたずねてほしいと何度も頼んだが、いまだに分からない。去年までウプサラ大学に留学していた友人にも出発前にしっかり頼んでおいたが、やっぱり成果はなかった。
 ぼくたちより少し年上だったから、いまは58か60くらいだろう。1964年10月の朝日新聞で、ちょっと物憂い表情で佇んでいる彼女のままにしておこう。

 * 写真は、朝日新聞1964年10月(日付は不詳)に載ったアン・クリスティネ・ハグベリさん。

 2006/2/25

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