ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(里見元一郎訳、“ ホイジンガ選集1 ”、河出書房新社、1971年)を読んだ。
何で、どういう脈絡で読み始めたのかは、忘れてしまった。数日前に読み始めたのに。
読まずに放っておいた本の中から、放ったらかしておいた時間の長いもの(=古い本)から順番に読もうとでも思ったのだろうか。
一番初めに読んだのは、第4章「遊びと裁判」である。
何で裁判が「遊び」なのか? 当事者は必死である。それを「遊び」とは! かつて騒がれた割には噴飯ものではないのか、と思いつつ、改めて最初から読み始めた。
結論的に言えば、何を言いたいのかよく理解することができなかった。
どの部分を読んでいても、「それで?」と言い返したくなってしまう。とくにオランダ語やドイツ語、ラテン語などの語源から「遊び」の系譜を説明する個所が結構あるのだが、これに引っかかった。
著者はオランダ人で、「遊び」は “Spel” 、“speling”という語の訳語らしい(56、66ページほか)。そして書名にもなっている『ホモ・ルーデンス』 “ Homo ludens ” は、“ludus” というラテン語に由来するという。“ludus”は「学校」を意味し、遊学すなわち「どこどこに遊ぶ」を意味するらしい。
しかし、これらのヨーロッパ系の言葉が、日本語の「遊ぶ」と1対1で対応しているのか納得できなかった。たとえホイジンガの主張が正しくて、ヒトが “homo ludens” だったとしても、それが「遊ぶヒト」と言えるかどうかは疑問である。
『ホモ・ルーデンス』には他の訳者による訳本も出ているようだが、それらの本も「遊ぶ」という訳語を当てているのだろうか。
たとえば、英語の “play” と日本語の「遊ぶ」を比べただけでも、その意味する範囲は大いに異なる。
“play” にはスポーツ、ゲーム、演劇などが含まれるが、「遊ぶ」には(ホイジンガで重要な意味を持つとされる)演劇は含まれない(芝居を演ずる)。野球をする場合でも、 “play baseball” は野球で「遊ぶ」とは言わず、「野球をする」だろう。(そう言えば、野球ファンだった池井優氏が、試合開始の合図 “play ball” は「ボールで遊べ!」だ、と書いていたが、普通はそうは訳さない。)
他方で、日本語の「遊覧」、「遊学」、「女遊び」や、「土地を遊ばせておく」などといった場合の「遊ぶ」は “play” に置き換えることはできない。
「遊び」の対立概念だとする「真面目」も、オランダ語の原語は書いてなかった(ように思う)が、日本語の「真面目」と対応するのか疑問である。
といった、言葉の問題だけでなく、全体としても、人間は「遊ぶヒト」であると説得されることはなかった。
人生においては、「遊び」の部分もあるという程度であれば、それは同意できるが。
* * *
ぼくの人生の中で最もホイジンガ的な「遊び」だったなと思い出した出来事は、小学校4年生の頃の同級生Yくんの行動である。
昭和34年の世田谷区梅ヶ丘、根津山あたりの出来事である。
当時の世田谷は、まだそこかしこに畑が残っていて、ネギ坊主などが植えてあった。そして、畑の隅には肥料をためた肥溜めが掘ってあった。長方形で、幅は、長辺が1メートル強、短辺が70~80センチくらいだっただろうか。溜めてあるのは、落とし紙に使った新聞紙の切れ端などが混ざった人の糞尿である。
何を思ったのか、遊んでいた同級生3、4人でこの肥溜めを飛び越える「肝だめし」をすることになった。
ほかの子たちは無難に短辺の方を跳躍したのだが、Yくんだけは1メートルほどの長辺の方に挑んだのであった。
校庭の砂場なら知らず、跳ぶのは肥溜めの上である。それを跳ぼうと挑んだYくんは、対岸に到達できず、あえなく肥溜めに落ちてしまった。
幸い、深さは背が立たないほどではなかったので、Yくんは糞まみれになって這い上がってきた。
みんな押し黙って(息を止めていたのかもしれない)Yくんの家まで、渋谷駅から淡島車庫を経て経堂駅に向かう小田急バスが通る道を、とぼとぼと赤堤方面へ歩いて帰った。
家に着くとお母さんが出てきて、庭先だったか道路上でホースで頭から水をかけた。
このYくんの行動を、だれも笑わなかった。
なぜだったのだろう? ホイジンガによれば、長辺に挑んだYくんは、短い方しか飛ばなかったぼくたちに対して「名誉」を獲得したのだろう。
正しい読みかたなのかどうかわからないが、読んでいる間じゅう、何度かYくん--正確には幼稚園も同じだったので「Yちゃん」と呼んでいた--のことが思い出された。
ホイジンガに戻ると、「遊び」とは、「自発的な行為もしくは業務であって、あるきちんと決まった時間と場所の限界の中で、自ら進んで受け入れ、かつ絶対的に義務づけられた規則に従って遂行され、そのこと自体に目的を持ち、緊張と歓喜の感情に満たされ、しかも『ありきたりの生活』とは『違うものである』という意識を伴っている」ものである(56ページ)。
文化は遊びの中から生まれ、演劇、音楽、(スポーツ)競技などだけでなく、祭り、宗教、学問、法律、国家生活の形式の中に結晶化しているという。
遊びは2組の間で対立的であり、闘技的・競技的な要素を持ち、その不確実性から賭けや籤引きの要素を持つ。一般に「遊び」は「真面目」と対立するかに思われるが、遊びは真面目と両立するという。
「裁判が遊び」とは何だ!と最初は思ったが、著者に共感した部分もある。
そういわれてみれば、裁判は、少なくとも建前としては当事者双方の「弁論」によって争われるものである。
しかも、裁判の最後は勝ち負けであり、しかも、偶然に当たった裁判官の性格や価値観によって、同じ問題でも結論(勝ち負け)が分かれることは頻繁に起こる。
英米の陪審裁判の場合は、陪審員が裁判官の説示や法を無視して評決することはしばしば起きる(jury nullification)。陪審員の評決はいっそう「偶然」によることが多い。
ぼくは「科学としての法律学」といった考え方には同意しかねるものであり、法律学の起源はむしろ弁論術にあったと思っている。
定年後の読書としても、ウェルマンの『反対尋問の技術』や戒能通孝氏の『法廷技術』を読もうと思っていたのだが、「法廷侮辱罪」(や司法妨害罪)にも興味が広がり、法廷における「宣誓」の胡散臭さ(偽証罪の成否)にも関心が生じた。
法律学における「くじ引き」についても考えさせられた。
最近、法律学の世界でも「くじ引き」による決着への関心が高まっている。
たとえば、わが婚姻法改正要綱は、結婚の際の夫婦同氏(民法750条)規定を廃止して、夫婦別氏(別姓)を認めることを提案しているが、夫婦間の子どもの氏については、婚姻届出に際して夫婦間で協議でして統一しなければならないと規定している。
もし夫婦間で協議が調わなかった場合はどうするのか。1950年代までのヨーロッパ諸国のように夫の氏を子どもの氏にするという訳にはいかないだろうし、男の子は夫の氏、女の子は妻の氏というのも差別的である。夫婦のどちらの氏を称することが子どもの利益にかなうかなどを家庭裁判所裁判官が判断できるわけもない。
そうなると、協議が調わない場合には「くじ引き」によって決するというのが後腐れがなくてよいのではないか。「子どもの氏をくじ引きで決めるなんて!」と言われそうだが、ホイジンガを読むことによって、以前よりは「くじ引き」への違和感は小さくなった。
本書によると、プラトンは『法律』の中で、人間は神の遊び道具として造られた、したがって人は美しく遊びながら人生を生きるべきだと語っているらしい(40ページ)。
ぼくは時々、「人生というのは、神様か誰かによってあらかじめ作られたシナリオに従って進行しているのであり、ぼくたちはただそのシナリオを演じさせられているだけではないのか」という感覚に陥ることがある。
プラトン『法律』も買ったまま放置してあるが、そのうち読むことにしよう。
2020年6月1日 記