先日、遠出をして以来、
残す大型連休は、静かに過ぎて行く。
おはようございます。
だもんで、日々の出来事が、白紙同然だ。
もう意識すら無いままに過ぎてゆく。
長い昼寝のせいで。
仕方ないので、実家にでもと行ってみると、
テレビから、終戦記念番組が流れていた。
ご老人が戦争体験を話している場面をしばらく見て、
私は、軽い口調で、
「母さんは、戦争を覚えているんだっけ?」と、聞いてみた。
すると、母は真剣な顔で、話し始めた。
まだ幼かった、あの頃、
名古屋は激しい爆撃を受け、家を焼かれてしまった。
棲む家を失った一家は、仕方なく母親の実家を頼りに旅に出たのだ。
そして、ようやくたどり着いた所は、
住み慣れた町とは全く違い、まるで別世界だった。
山深く、冬は、たくさん雪が降り、
慣れない寒さに耐えられず、
幼い少女は、こぼれ落ちそうな涙を、こぼさぬよう歯を食いしばった。
自分が泣いてしまっては、お母さんが困るから。
そう小さな胸に言い聞かせた。
その母親の実家は
田舎作りの一軒家で、広い土間があって、
その横には、1頭の馬が飼われていた。
帰宅するたび、首を伸ばしてくる馬が、少女はどうしても怖かった。
その検問を潜り抜け、家に上がれば、
至る所に、お祖父さんが可愛がっている猫達が寛いでいた。
少女は、馬は怖くて触れないが、
可愛らしいしぐさの猫は触りたいと思えて、そっと手を伸ばしてみた。
すると、突然、少女の背中に痛みが走った。
振り向いてみると、
そこには、竹刀を持った、怖い顔をしたお祖父さんが立っていて、
「そんな手で、猫を触るな」と大きな声で怒鳴った。
裸足で歩けば、床が汚れると怒鳴られ、
食事の時間になれば、話す事も許されなかった。
母親とその娘達は、座敷ではなく土間で黙々と食べた。
幼い少女は、訳も分からず、
ただ叱られないよう気を付けるしかなかったが、
どう気を付ければいいのかすら、実は分からなかった。
唯一頼りにしている母親も、
少女が叱られているのを知ると、
庇うどころか、さらに酷く叱る始末だった。
そんな、ある日、
少女は学校の帰り道、遠くにフラフラ歩く母親を見つけた。
どうしたんだろうと、後をつけてみると、
母親は、ずんずん崖へと向かっていく。
少女が思わず「あっ、お母さん!」
と咄嗟に駆け寄った、その時、
母親は、手に抱いていた小さな子猫を崖から落とした。
「この家では、私の子より猫の方が大事なんや。
悔しい・・・悔しい・・・」
そう呟く母親を見て、少女は言葉を失った。
山深い、実家のある村は、爆撃される事はなくとも、
だからといって、
戦時下が故、生活するに充分な物や金が手に入る訳では無かった。
先の見えぬ日々の中で、人々は、ぎりぎりの生活を強いられ、
戦争は、人の心をも奪っていったのだろう。
あれから70余年経った今でも、
母は、当時の事をよく覚えていた。
「あの人はよ、あの時、実の親に遠慮しいしい、
小さくなって暮らしとった。
よう隠れて、独りで泣いとった。哀れやった。」と。
そして
「あのお母さんの姿を見て以来、わしは猫が怖くなったんや。
あれから今でも、猫が大っ嫌いになったんやぞ。」と、笑った。
それを聞いて、私が
「え?母さん、うちの猫に可愛い可愛いって、いつも言ってんじゃん!」
と言うと、母は、さらに笑った。
そして、そのまま、私は笑顔で、
「ねぇ、母さん?爆撃はどんな感じだったの?」と聞くと、
母は、ぐっと顔を強張らせて、ただ一言、
「本当に、怖かった」とだけ、小さな声で呟いた。
そんな母に、
私は、掛ける言葉が見つからなかった。
うめ「しゃーてと、あたしゃ、そろそろ、極楽へ帰るぞよ」
うめ「お前は、来られるかの?極楽へ。ヒッヒッヒ~」
うーめさーーーーん!こらーーーーー!!