うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

お久しぶりの、うめさん

2021年05月29日 | うめの事

私は、

野良猫みたいに怖がりだ。

 

おはようございます。

子どもの頃は、黒豚と呼ばれていたけれど、

なんでもかんでも、怖かった。

ひょうきんな振りをしていたけれど、

本当は、なんでもかんでも怖かったから、人を笑わせて誤魔化していた。

 

誤魔化していたくせに、

明日はきっと良い日だなんて期待して眠りにつくほど、

楽天的ではなかった。

 

今だって、そうだ。

なんでもかんでも怖い。

明日、私は生きているのだろうか。

1年後、母さんは私を覚えているだろうか。

10年後、私はこの家にいて、猫達は穏やかに過ごしているのか。

人を笑わせていられるのだろうか。

ダサいダジャレしか言えず、すごくスベッていたら、どうしよう?

それは、今と大して変わりはしないから、まあいいか。

 

そんな怖がりな私には、やり過ごすための呪文がある。

胸の中に、ざわっと風が吹いた時、

私はいつだって、「うめさん、守って」と口にする。

そうすると、たいていは風が止まる。

止まらない時は、「うめさん、見ててね」と言ってみる。

そうすると、胸の中に日の光が差すような、微かな勇気が湧いてくる。

 

うめが居た17年間だけは、私は怖がりじゃなかった。

それまで重かった自分の命が、半分に軽くなった気がした。

私は独りで私を生きなくて良かった。

うめと一緒に生きていれば、なんでも半分になった。

布団も座布団も机も、半分はうめのスペースだったし、

私のどちらかの腕は、いつも、うめを撫ぜるためだった。

おかずが刺身だった時は、その時だけは例外だった。

うめが6、私が4の割合で食べることになるから、

この時ばかりは、理不尽だと嘆いた。

「稼いでるのは、私なのに」と、まったく大人げない事を言ってしまった。

 

猫を拾ったら、私とうめで育てた。

猫達が喧嘩したら、私が叱り、うめが慰めた。

うめが叱る時は、私も続いて叱ってしまうから、

叱られた猫は、私への遺恨だけが残った気がした。

 

考えてみたら、力量は半分ずつじゃない。

完全に、うめが上だった。

器量も気立てもだろうが、それは仕方がない。

だって、うめは、柔らかな被毛を持つ、美しい猫だったのだから。

私は、超合金みたいな髪質のくせに体毛は薄いから、仕方ない。

これを読んで、「そこじゃない」と言いたい人も多いだろうが、

分かっています。

 

うめが居なくなって以来、

私の半分が私に返されたから、

私は、また野良猫みたいに怖がりに戻ってしまった。

 

おたまとたれ蔵は、仲良く過ごして行けるのだろうか。

酷い喧嘩なんてしたら、どうしよう。

20年後、私は私のもとに居る猫達を、

無事に極楽へ見送ってやれているだろうか。

私は、空を見上げて、笑っているのだろうか。

 

そんなことを考えると、ざわっと風が吹き、

私は、ほんの少し、うめに似ている、のん太に言う。

「うめ、守って。見ていてね。」

 

のん太、たれ蔵を頼むぞ。

 

なぜか、のん太は人望ならぬ猫望が厚い。

というか、猫達の愛されキャラだ。

 

そういうところも、うめに似ている。

似ていると、思いたいだけなのかもしれないな。

 

うめさん、見ててね

うめ「へっ?あたしゃ、とっくにプロバンスの豪邸で

美人のお姉さんとテレビ観てるんだけど?」

生まれ変わって、プロバンス地方の豪邸で暮らしてんの?

プロバンスて!