こんな季節に、
胡蝶蘭が花芽を伸ばしている。
おはようございます。
会社で世話をしている3鉢の胡蝶蘭のうちで、
一度も花芽を伸ばしたことのない鉢だ。
弊社のお祝い事で頂いたのは9年前だったろうか。
あれ以来、3株をそれぞれの鉢に分けて世話を続けている。
そのうちの2鉢は何度か花を咲かせて来た。
とはいえ、一度も花を咲かせない鉢を残念に思ったことは無い。
花芽を出す2鉢は、それはそれで手が掛かるし、
咲くか咲かないかと、気を揉む。
その点、咲かない鉢は、
「いいんだよ。あなたは今のままでいい。
葉っぱが活き活きとしていて、それもいいじゃない?」
控えめだけど、葉っぱは2鉢よりもうんと美しくって、
私は、それで充分だと思っていたのに、
ついに、今、花芽を伸ばしている。
胡蝶蘭の花芽が伸びる正しい時期は、6月だ。
夏の花だ。
冬の間は休眠をする。
だからきっと、咲かないだろう。
小さな蕾は、きっと咲けない。
本来ならば、その花芽の茎を切ってやった方がいい。
無駄に体力を使わせるより、花芽を切って休めてやった方がいいのだ。
けれど、私は日々伸びていく茎を切ることが出来ない。
「だってもう、小さな蕾が付いているじゃないか。」
それを見つめていたら、自分の目に涙が浮かぶのを感じた。
その時、どういう訳か、たれ蔵が重なって見えた。
4年前の5月、
この手に乗せた小さな子猫は、キンキンに冷えていた。
初動を間違えれば、すぎさま死んでしまう危うさだった。
そのせいか、たれ蔵はしばらく下痢に悩まされた。
下痢をするたび、ピーピー泣いて甘え、
おねしょもよくする子だったから、その際もべそかいて甘えた。
「甘ったれのたれ蔵ちゃん。」
ほくろと名付けたはずが、いつしか、そう呼んでいた。
そんな甘ったれのたれ蔵が、独りで達者にトイレで用を足した時、
あの時を私は、はっきりと覚えている。
「たれちゃん、偉いねぇ。ひとりで出来たねぇ。」
私が大げさに褒めてやると、たれ蔵は
「なにが?」
といった風に不思議そうな顔で、私を見上げた。
ああ、手放す時がきたのか・・・
記念すべき時に、じわりと湧き出た涙の成分は、
嬉しさより不安の方が濃かった。
「これからは、いろんなことを自分で頑張らんといかんのよ、たれちゃん?」
それが、とても不安で心配で、そして淋しかった。
何の因果か、たれ蔵の最後も、下痢に悩まされた。
そう、下痢に始まり、下痢で終わった。
「もう手放してやらなければいけない。」
やせ細りゴツゴツした骨ばった、たれ蔵の尻を拭きながら、
私は何度もそうつぶやいていた。
逝く前日、尻を拭きながら、またそう呟こうとしたのに、
たれ蔵が小さな声で、
「ぴー」と泣くものだから、
「甘ったれのたれ蔵ちゃん」と呼び掛けてしまった。
その時に、じわりと湧いた涙は、どういう訳か、
悲しみの成分よりも、安らぎの成分の方が遥かに濃かった。
「たれちゃんは、もう頑張らなくっていいんだよ。」
それが、何よりも安らいだのだ。
私は、健気に伸ばす花芽にも、
「頑張らなくってもいいんだよ。」
と、ひっそり声を掛け、だけど茎は切らずに見守ろうと決心をした。
いや、ままんが土下座せんでいいし!
あたしゃ、だいたい日々、誰かに迷惑かけて
心で土下座しながら生きてるし(笑)。
いやでも、私のこの面倒くさい感性を受け入れてもらえて、
いつも心強くて嬉しいんです。
ままん、ありがとうございます。
ままんも、今はまだ、ポンちゃんのことを
言葉にするには、なかなか苦しいかもですが、
いつか、ポンちゃんとの色んな物語を
教えてくださいね。
かずこ、そういえば、かずこがおった!
いや忘れてないし、毎日会ってるけどもね。
この前なんて「お前なんか早く死ね」とか言うんだよぉ。
だからね「ほんと、こんな人間を産んだ親の顔が見てみたいわ」と
言ってやりますた(笑)。
れんれんちゃんのこと、思い出しちゃいますよね。
泣かせてしまって、ごめんなさい~。
もうこの際、一緒に泣きましょう、私も泣きながら書いた。
まさに、ひいなさんと同じように、
私も日々、希望と絶望の狭間で、揺れていました。
最期の最後まで、揺れていた。
苦しいですよね、そういう時って。
でも、ひいなさんが揺れていたのは、愛が故の聖戦です。
その炎を絶やさなかった。それは尊いことなのです。
れんれんちゃんも、うんと幸せな猫さんでした。
胡蝶蘭、もうすぐ会社が連休になってしまうから、
さぁ、どうなるかな?
でも、生きててくれれば、それでいいんです。
そうなんですよね。
さりげなく当たり前のように存在している命が、
本当は全然当たり前なんかじゃないってこと、
こういう時にしか、改めて感じないんですよね。
蘭さん、ほんとにびっくりしちゃった。
時期は間違えてるけど、それがまた愛おしいです。
ちょっとおどんなところが、たれ蔵に似てるし(笑)。
そうなんです。
9年間、葉っぱだけだったのは、その鉢だけで、
大丈夫だよって声を掛けていたから、
こんな季節に、それでも健気に咲こうとするのが、
たまらなく愛おしくなっちゃいました。
そんな姿が、最期まで頑張ってくれたたれ蔵を思い起こしてしまいます。
あの子も、静かに緩やかに、でも頑張っていましからね。
かあちゃん、ありがとうございます。
電車の中で泣いていただき、痛み入ります。
たれ蔵との思い出は、どれもこれも、
静かで穏やかで、ちょっぴり切ないものばかりなんですよね。
なんだか、それが小さな蕾に似ていて。
さぁ、どうなるかしら?
胡蝶蘭、心の片隅で、咲かせてやりたいなって
思っているんですけどもね~。
思うくらいに、その感性にも文章力にも
土下座したくなりました。
やっぱり、人としての出来が違うのよね~って
思い知らされたわ、今日も。
何度読んでも、何度も涙が流れるよ。
これまでも、おかっぱ家のにゃんズは、みんなそれぞれ
素晴らしい物語を紡いでくれたけど、たれちゃんの物語は
そんな風だったんだね。
ますますたれちゃんのこと、愛おしく思うよ。
そして胡蝶蘭の、季節外れの花芽も
たとえ花を咲かせることが出来なくても
きっと幸せを感じてるよね。
あたしゃホント、カズコさんにお礼が言いたいわ。
おかっぱさんを産んでくれてありがとうm(__)mって。
参りました。涙腺崩壊です。
撫でると手が骨に当たって、これはもう
ブラッシングも痛いかも…なんて思うのに、
蓮はヒーターの前で喉を鳴らしながら、
気持ちよさそうにしていた時の、
どうにもしようのない気持ち。
もう十分だよね、というのと、
まだ心地よさを感じる程の、ゆとりが
この子にはある、という思い。
いつも揺れていたなぁと。
胡蝶蘭、芽は切れませんよね。
葉は青々と、誰よりも綺麗なんですから。
たれちゃんはおかっぱさんに命を紡いで
貰って、看取って貰えて、たくさんの
幸せを残して天に還ったのですね。
またなんていいおはなし♡
朝から心がほっこり。
でも、ちょっぴりウルっときて、対動物、対植物、どちらも、その存在そのものが有難いな~って思いました。特に自分のすぐ近くにいてくれる存在は♡
たれちゃんは、いなくなってしまったけど、残したものは、とてつもなく大きいもの(愛)ですね。
咲かないけれど、美しい葉を伸ばす胡蝶蘭
それだけで充分だよね。
そんな子がやっと付けた蕾を切るなんて、おかっぱちゃんには絶対にできないってかあちゃんは知ってる。
たれちゃんは、短い猫生だったけれど、美しい花を咲かせたよ。その花を枯らさないように頑張ったおかっぱちゃんもかあちゃんは知ってる。
かあちゃんだけではなく、おかっぱちゃんのブロ友さんは、み〜んな知ってるよ。
あかん。
電車の中で読んで
涙ダダ漏れ。
たれちゃんとの思い出。
切なくて暖かい。
咲かなくても咲いても
その花も、愛おしいね。