曇、22度、90%
十数年前、東京の損保美術館に「ブラマンク」の絵を見に行きました。その時ブラマンクを師事した日本人画家「佐伯祐三」の作品が数点出品されていました。「佐伯祐三」という日本人画家を知ったのはこの時のことです。暗い色調のパリの街角を描いた強いタッチの絵が数点、私は「ブラマンク」より「佐伯祐三」の作品に魅せられました。美術展で絵葉書を買うことはありません。なのに「佐伯祐三」の絵ハガキを3枚求めて、香港の家に持ち帰りました。アクリルの小さな額にその時の気分に一番近い絵を入れました。
昨年のことです、「大阪中之島美術館」が新しくできました。新聞記事でこの美術館の設立の発端は寄贈された数多くの「佐伯祐三」の絵だと知りました。 有名な「郵便配達夫」も含まれています。昨年のこけら落としの展覧会でも数多くの「佐伯祐三」の絵画が出るとのことでしたが、一年後の一周年記念は「佐伯祐三」の館所持の全作品の回顧展が予定されていました。私は一年待ちました。
30歳にして亡くなった画家「佐伯祐三」、実際画家として絵筆を握ったのは数年だったとも聞きます。この一年「佐伯祐三」に関する本も読み、一周年記念の展覧会を待ちました。先週土曜日に始まりました。土日は人が多いはず、月曜日は休館日、そこで火曜日の昨日、早朝に家を出て大阪に向かいました。
入ると直ぐに、 自画像が迎えてくれました。自画像の一群に始まり、時代を追って143点の作品展示です。高揚した気持ちを抑えて、ひとつひとつ見て行きました。
損保美術館以来、「佐伯祐三」の「赤」の使い方が気になっていました。様々な「赤」が絵に見られます。小さな「赤」のそのスポットの使い方が、暗く重いタッチの絵にすっと風穴を作っています。以前は「パリの街だから、赤が映えるのだ」と思っていたのですが、「佐伯祐三」は日本の田舎の風景にも小さな「赤」のスポットを描いています。あの時代に田舎に赤い屋根などあるはずもないのに、遠くに小さな赤い屋根が見えるという具合です。明るい「赤」もあれば暗い「赤」もあります。そのポツンとした「赤」が私の心に響きます。
一晩明けた今も少なからず「佐伯祐三」の絵の余韻が残っています。開館同時に多くの方が入館されました。若くして亡くなった「佐伯祐三」の絵に何を感じられたのでしょうか。 「黄色いレストラン」の前で「佐伯祐三」が吸っていたパリの空気が匂いました。在館、1時間あまり、久しぶりに身体の細胞が目覚めたように感じます。
真新しい美術館、場所柄を損なわないいい建築物です。この回顧展は、先月までは東京でも開催されていました。私は「中之島美術館」の建築も見たく、昨日まで待ちました。
午後もまだ早い時間に帰宅、10時間ほどのお留守番をしたココが出迎えてくれました。
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