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曇、23度、92%
「水羊羹」は早くに死に別れた父の思い出の食べ物です。特別な甘党というわけではないのですが「水羊羹」を自ら10個ほども買って来て気持ちよくたくさん食べました。「水羊羹」のどこがどう好きだったのか?まだ子供だった私は父に聞くこともありませんでした。私は30代過ぎから自分で「水羊羹」を作るようになりました。作りながらいつも思います。父はどうして「水羊羹」が好きだったのかしら。
まだ東京に住んでいたずいぶん以前のことです。あるお宅で「水羊羹」をご馳走になりました。店の名前は忘れましたが、老舗のその店は「水羊羹」を買う人に揺らさず持って帰るようにと口上が付くのだそうです。いただいた「水羊羹」非常に柔らかく、さっぱりとした甘さでした。その方に京都にも同じような「水羊羹」を作る店があることをお聞きしました。これまたお店の名前は忘れていたのですが、綺麗な水色の包み紙、まるで普通のお羊羹のような佇まいだと聞きました。
梅雨の蒸し暑さの中「水羊羹」を作ろうかなと思っている矢先に頂戴しました。小包の開くと、目にも鮮やかな水色の包み紙です。「水羊羹」と書かれています。急に昔聞いた京都の有名な「水羊羹」を思い出しました。きっとあの方が言っていた「水羊羹」に違いないと思います。
包みを開けると、手を汚さずに、「水羊羹」を汚さずにとの気配りから切れ目が入っています。お羊羹、「水羊羹」共に手で持ち切ると羊羹の表面に指跡が残ります。一番厄介だと思う瞬間です。一切れお皿に取ると、ゆるっとした「水羊羹」だとわかります。口に含むと噛まずともするりと溶けてしまいます。甘みが薄くその分小豆のしっかりした香りが喉を抜けて行きます。涼味を呼ぶ「水羊羹」です。
いつ頃からか小さなアルミカップに入った「水羊羹」がお中元シーズンになると出回るようになりました。手をベトベトにせずお皿に空けることが出来ます。よく考えたものです。「水羊羹」は滲み出る砂糖水でその甘さがわかります。「甘泉堂」の「水羊羹」の箱から流れる砂糖水はさらりとしたものでした。
甘さがきついのがお好きな人もいるでしょうが、甘みは薄く小豆の香りがする「水羊羹」が私は好きです。「水羊羹」は噛んで食べる食べ物ではなく、口に含めばそのまま溶けてしまう食べ物だと思っているからでしょう。
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