ウズベキスタン旅行、5日目は、バスに乗って、4時間シャフリサブスを目指します。
しばらくは、砂漠で、低いブッシュが生えているのみ。
変化のないまっすぐな道を走ってシャフリサブス近くに来ると、緑が増えてきていえもたって、家も立っていました。
農家の定住を促すため、政府が建ててあげているそうな。
シャフリサブスは、ティムールの生まれ故郷として有名で、15Cにできたそうです。
ドルティロヴァウト建築群の庭も、花がきれいに植えられていました。
これらは、「瞑想の家」とよばれ、ティムールの孫、ウルグベクが建てたコク・グンバス・モスクに向き合い並ぶのは、2つの廟。
地下室には、お墓があるが、ティムールのお墓は、サマルカンドにある。
ここを訪れる人々は、みんな民族衣装と、スカーフをしています。
結婚式の撮影も行われていましたが、今は、ウェディングドレスいうことです。
子供が生まれると、ポプラの木を植えるということで、ポプラ並木が結構見られました。
それで、大人になったら、家を建てるそうで、木を大切にしているんですね。
アク・サライ宮殿跡は、ティムールにより建てられた夏の宮殿跡。2つのアーチの巨大なこと。屋上には、プールもあったとか。
ティムールの銅像も大きくて、しっかり整備された、公園になっていて、遊園地もありました。木の上には、コウノトリの像が…。
またバスに乗って、1800mのザラセン山脈を廻って、次は、サマルカンドです。
ここの見どころは、レギスタン広場。夜景がきれいでした。
ホテルの庭も今は、花盛りです。
ビビハニム・モスクは、中央アジア最大のモスクで、ティムールが、チンギスハンの娘と結婚して妻のために建て、死後3年後に完成した。
書見台には、コーランが置かれたそうです。
いろんなタイルが売られていて、近くにバザールがあり、にぎわっていました。
雨が降って、合間を縫って移動すると、グリ・エミル廟(タジク語で、支配者の墓)に着きました。
ティムールと息子や孫が眠り、内部も金を使っていて、豪華です。
ドーム屋根もミナレットの造形も、今までのと違って、文様も見事。
また、レギスタン広場で、ウルグベク神学校とシェルドル神学校、 ティラカリ神学校が三方に建っている。
ウルグベクさんは、ティムール朝の第4君主で、天文学者のため、青い星のモチーフのタイルやモザイクがあった。
シャーヒズィンダ廟群は、アフラシャブの丘の南にあり、階段を上るとエリートの墓が、道沿いに並んでいる。
最後の日は、タシケントまで、列車です。
タシケントは、ウズベキスタンの首都で、人口250万人の中央アジア最大の近代的都市です。
まずは、日本人墓地でお参り。ソ連の捕虜となった79名の日本人が眠っています。
祖父の代から墓守をしてくれているイスラム教徒の家族がいます。ありがたいですね。
日本人の捕虜が、タシケントの抑留されて強制労働によって、建てたナヴォイ劇場が、1966年の地震で、びくともしなかったことで、
多くの命が助かったそうだ。
ロシア外交官の家が、工芸館になり、木彫や、刺繍、陶器などを見て、庭では、クジャクの羽を大きく広げた様子も見れました。
日本庭園散策も、緑の中、花や、コウノトリも見てよかったです。タシケントでも1つモスクを見ました。
バザールにもちょっと寄ったのですが、もう私は、現地通貨のスムがもうないので買えません。
食事は、前菜のサラダ、スープ、メインは、牛肉、鶏肉、羊肉のどれかで、魚は出ませんでした。
デザートも、アップルパイとか、アイスクリームとかで、最後の昼食のプロフ(ピラフ)が、脂っこかったけど、おいしかったです。
毎食お茶が出て、お腹をこわさないで行ってこれてよかった。
しばらくは、砂漠で、低いブッシュが生えているのみ。
変化のないまっすぐな道を走ってシャフリサブス近くに来ると、緑が増えてきていえもたって、家も立っていました。
農家の定住を促すため、政府が建ててあげているそうな。
シャフリサブスは、ティムールの生まれ故郷として有名で、15Cにできたそうです。
ドルティロヴァウト建築群の庭も、花がきれいに植えられていました。
これらは、「瞑想の家」とよばれ、ティムールの孫、ウルグベクが建てたコク・グンバス・モスクに向き合い並ぶのは、2つの廟。
地下室には、お墓があるが、ティムールのお墓は、サマルカンドにある。
ここを訪れる人々は、みんな民族衣装と、スカーフをしています。
結婚式の撮影も行われていましたが、今は、ウェディングドレスいうことです。
子供が生まれると、ポプラの木を植えるということで、ポプラ並木が結構見られました。
それで、大人になったら、家を建てるそうで、木を大切にしているんですね。
アク・サライ宮殿跡は、ティムールにより建てられた夏の宮殿跡。2つのアーチの巨大なこと。屋上には、プールもあったとか。
ティムールの銅像も大きくて、しっかり整備された、公園になっていて、遊園地もありました。木の上には、コウノトリの像が…。
またバスに乗って、1800mのザラセン山脈を廻って、次は、サマルカンドです。
ここの見どころは、レギスタン広場。夜景がきれいでした。
ホテルの庭も今は、花盛りです。
ビビハニム・モスクは、中央アジア最大のモスクで、ティムールが、チンギスハンの娘と結婚して妻のために建て、死後3年後に完成した。
書見台には、コーランが置かれたそうです。
いろんなタイルが売られていて、近くにバザールがあり、にぎわっていました。
雨が降って、合間を縫って移動すると、グリ・エミル廟(タジク語で、支配者の墓)に着きました。
ティムールと息子や孫が眠り、内部も金を使っていて、豪華です。
ドーム屋根もミナレットの造形も、今までのと違って、文様も見事。
また、レギスタン広場で、ウルグベク神学校とシェルドル神学校、 ティラカリ神学校が三方に建っている。
ウルグベクさんは、ティムール朝の第4君主で、天文学者のため、青い星のモチーフのタイルやモザイクがあった。
シャーヒズィンダ廟群は、アフラシャブの丘の南にあり、階段を上るとエリートの墓が、道沿いに並んでいる。
最後の日は、タシケントまで、列車です。
タシケントは、ウズベキスタンの首都で、人口250万人の中央アジア最大の近代的都市です。
まずは、日本人墓地でお参り。ソ連の捕虜となった79名の日本人が眠っています。
祖父の代から墓守をしてくれているイスラム教徒の家族がいます。ありがたいですね。
日本人の捕虜が、タシケントの抑留されて強制労働によって、建てたナヴォイ劇場が、1966年の地震で、びくともしなかったことで、
多くの命が助かったそうだ。
ロシア外交官の家が、工芸館になり、木彫や、刺繍、陶器などを見て、庭では、クジャクの羽を大きく広げた様子も見れました。
日本庭園散策も、緑の中、花や、コウノトリも見てよかったです。タシケントでも1つモスクを見ました。
バザールにもちょっと寄ったのですが、もう私は、現地通貨のスムがもうないので買えません。
食事は、前菜のサラダ、スープ、メインは、牛肉、鶏肉、羊肉のどれかで、魚は出ませんでした。
デザートも、アップルパイとか、アイスクリームとかで、最後の昼食のプロフ(ピラフ)が、脂っこかったけど、おいしかったです。
毎食お茶が出て、お腹をこわさないで行ってこれてよかった。