去年のこと。
横浜年上友と大船の教室に行くことになって、電話で駅待ち合わせ時刻を打ち合わせする。
年上友が「じゃあ1時10分の電車ね」と言う。えっ?!
ほら、長年の付き合いでたいていのことは分かる。すぐにピンと来たね。
「あなた、その時間時刻表見たの?」
「うううん、見てない」って。
あああ、羨ましい。
だいたいその時間に待ち合わせすれば間に合うだろうと、考えるところが羨ましい。
10分には電車がなくて後の電車で行くと遅刻かも、なんて考えないところが羨ましい。
結局10分より早い電車で行こうと結論付けて。
でも私は後悔したね、いいじゃん別に10分に待ち合わせね、で。
ネットがなくて調べることができなかった時代はそんなもんだったじゃん。
そんなことに細かい自分が面倒くさい。
土曜日の教室での休憩時間。
知り合いの方たちの健康状況話になって。
イワイサンが、
「せんせい(体操のね)がね、胃がんになるなんて。あんなに躰動かしていたのに」
と言ったので速攻で私「肺がんじゃなかった?」と。
ああ、胃だろうと肺だろうと話の流れには何の支障もないのに、話の腰を折って訂正してしまう。はい。
続いて年上友がお知り合いの方がよく歩く方だったのに、
「バセドー氏病になった」と言ったので、またもや速攻で「パーキンソン病じゃないの」と。
バセドー氏病だろうとパーキンソン病だろうと、要するに運動していても病気になるの話だったのに。
ああ、またもや話の腰を折ってきっちり訂正せずにはいられないこの病。死ぬまで治らないね。
で、家に帰って、ま、いちおうは後悔するわけですよ。
どうでもいいじゃんそんな細かいこと、もっとアバウトになれ!って。
もっとゆったりおおらかにしたらどうよ、って。
あんた(私のこと)と付き合う人は大変だよって。そうだよね。
読み終わった野田秀樹さんの『ひつまぶし』(ひまつぶし)ではありません。最終章。
野田さん雑誌のインタビューを受けて。取材開始時刻に家を出たそうな。
相手の方がもう来ていると思って、30分くらい遅れるからって先方に謝ってとマネージャーさんに頼んだ。
ところが相手の方も5分くらい遅れると連絡があったそうな。
結局、先方の方も野田さんも20分遅れで現場に着いた。
同じ20分の遅れを先方は5分と読み、野田さんは30分と読んでの対処。
はるかに先方の方が楽観的だと。
おまけに先方の方は5分だからどうってことないやと20分間を考え、
野田さんは30分と考えたから、20分間を罪悪感と共に生きたそうな。
そして結論付ける。
長生きしそうなのは先方だ。
南国の楽園で幸せに暮らせるのは絶対自分ではない、って。
うーん、分かる。
車で迎えに来てくれるマサチャンママに、
「あんた、外に出て待っとらんでもいいや。家ん中に居って待っとってくれえや。外で待っとると思うと焦ってしまうからさ」
と念押しされる私。
立派じゃんねえ、わざわざ車を降りさせて呼びに来させちゃあ悪いから約束時間前に家の前で待ってるの。
ああでもね、自分でもそんなところが窮屈な性格だなと思うわけよ。
別に長生きしなくてもいいけれど、南国の楽園で幸せに暮らせるようにはなりたいわけよ。
それには「アバウトで行こう!」が合言葉だな。
えっ?
なんだか「今でも充分アバウトだよ」の声が聞こえた気がするわ。
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