図書館に行くと、まれにあちらの方から「私を連れてって」と誘われる。ほんとにまれに。
先回借りたこの5冊もそう。
「いらっしゃい」って。手に取って受付カウンターに行くまで10分もかからなかった。
そういうときの嬉しさ。ラッキー!ってもんよ。
紹介文から
生前葬コンサートで歌われる100曲に因みつつ、古希の小椋佳が綴る渾身の遺言エッセイ100題。
歌手・小椋佳が70歳を迎えて書き下ろす人生の総まとめ。
自作の「シクラメンのかほり」など100曲を選び、その曲が生まれた経緯や意外な事実のすべてが明かされる。
小椋佳さん、そんなに好きじゃないのにテレビも観ちゃったりして。我ながら変、だと思う。
NHKで放送した生前葬コンサート、1日目を観たけれど途中でリタイア。元気にもなれずしみじみもできなかったのよ。
どうも気になる、と言えばこの一点にあるような気がする。
計画通りに自分が努力実践しないことに対して自虐自責癖
幸福感に浸る器用さはなくて、むしろ自分で自分を苛むという損な性分を持ち合わせてしまっている
幸せとはまさに主観的なものである
ご自分で分析している「慢性現状不満症」の件。
「本書をまとめて読むと、ほとんど常軌を逸した相撲への愛情と迫力が伝わってくる」が全て。
後半の記事はほぼ朝青龍との一騎打ちの様相。もう繰り返し朝青龍。面白いけれど・・・
で、その当時の大関陣への厳しい注文。
これが横綱を目指す大関の態度か?
体調不良はわかるが、消化試合のような相撲で二つや三つ勝ち越す大関より
極論すれば十四敗しても、朝青龍に対しては命を賭けるという、そんな相撲をいちばんだけ見せてもらう方がずっといい。
今の大関陣の相撲を観たらもっと手厳しいお言葉が聞けるはず。9月場所が始まるけれど、本当に腹立たしいわ、大関陣。
きりっとして!きりっと!
1979年秋 藤圭子 28歳 沢木耕太郎 31歳
藤圭子が28歳で芸能界を引退する際、数回にわたって行われたロングインタビューをもとに構成されている。
当時、原稿は完成していたものの、沢木の考えによって封印されていた「幻の作品」だ。
今回、藤圭子の死を契機に30年以上ぶりに陽の目を見たということになる。
地の文がなく会話のみのノンフィクション。
「一杯目の火酒」を読む。
が、今まで大好きで読んでいた沢木耕太郎さんの本の雰囲気とはずいぶん違う感じが不快で、これは無理と
止めようとしたが、それでもと読み進めていくうちにそういった違和感は跡形もなく消えて。
高級ホテルのバーのカウンターで飲んでいる二人の会話を横で聞くともなく聞いて。
知らず知らずのうちにどんどん引き込まれ、二人と同じように昂揚した気分になっていく不思議な感覚を味わった。
元同心・森口慶次郎、最後の事件。著者入魂の傑作シリーズ、ついに完結!
いつの世も変わらぬ苦悩と人情がここにはある。円熟の境地でこの世を去った筆者の絶筆までを収録したシリーズ最終巻。
この文章だけでも切ない。
ひとつめの事件 「松の内」
が解決して、慶次郎と佐七が根岸の寮に帰る道すがら、の二人の会話。酒の肴は、
「するめと、こうこかな」
と、佐七は独り言のように言い、しばらくの間は二人の足音だけが聞こえた。
「旦那」
つめたい風が、糸のきれた凧を足許へはこんできた。
「俺、旦那が寮へきてくれなすって、ほんとうによかったと思ってるよ」
「俺もだ。七つぁんがいてくれて、ほんとうに嬉しい」
かすかに聞こえてきたのは、佐七の笑い声だったのだろうか。根岸までは、まだかなりの道程がある。
もうもう、こういう文章に触れると胸の奥がつんとするのよ、ほんと。
これだけでしばらくは大丈夫かな、なんて思ったりして。
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