気ままに

大船での気ままな生活日誌

柿食えば・・・

2006-11-14 12:02:32 | Weblog
朝の散歩の途中、あちこちでみかける柿の木の実がどれも柿色になってきました。柿の実が色づき始め、それが次第に濃さを増し、それに呼応するように秋が深まります。朱色の実をたわわにつけた柿の木のある景色は、日本の晩秋の代表的な風景といえます。

この時期の柿の木をみると、いつも正岡子規の名句を思い出します。正確には名句に絡んだある出来事を思い出します。それは、もう何十年も前の高校の国語の授業のことです。

突然、先生が、私を指名して、○○君(私の名前)、子規の「柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺」について、この俳句の意味を述べなさい、と質問してきたのです。そのとき、私は、授業は上の空で、全然別のことを考えていましたので、びっくりしてしまいました。何とか答えなければと、苦し紛れにこう答えました。

「柿を食べていたら、法隆寺の鐘がなっていた」・・・あちこちでクスクス笑う声が聞こえます。あまりにも、単純解釈すぎた、もう少し、子規の心情にも触れなければいけない、と思いましたが、もうあとの祭りです。恐る恐る先生のお顔を見ました。もう定年に近いお年の女の先生でした。でも怒っているお顔ではなく、ふっくらとした眼鏡のお顔が、にっこりしていました。ほっとしました。今、考えると、ボーと授業を聞いていた私に喝を入れるために質問したのではないかと思います。たわいのない出来事が、結構いつまでも記憶に残っているものですね。

昨日のブログで、天授庵の庭園は5感が満足するという趣旨の駄文を書きましたが、ふと、この俳句こそ、5感で感じて出来た俳句ではないかと、思ったのです(笑)。

まず、視覚では、法隆寺をみています。聴覚で鐘の音を聴いています。触覚では柿の実を撫でています。嗅覚では、柿の実の香りをかいでいます。そして味覚では柿の実を味わっています。それぞれの感覚器で、深まりゆく秋をしみじみと感じているのです。さらに、見ている対象が法隆寺です。世界最古の木造建築です、1400年の歴史があります。そこから古代の人々の声も聞こえてきます。5感以上のもうひとつ上の感性(6感かな)が、その声をしっかり捉えているはずです。ゴーン・・・ゴーン・・と鳴る鐘の音に合わせて・・・

先生がまだご健在であれば、思い出話しをしたあと、今なら、こう答えますと、言ってみたいと思います。そのとき、また、(相変わらずばかねと)にっこり笑ってくれそうな気がします。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする