ボクが鎌倉市民になってから、まだ2年ちょっとですが、こちらに来てから初めてお名前を知った方が何人もいます。図書館の郷土資料コーナーで”知り合い”になるのです。今日、ご紹介する小島寅雄さんもそうゆう方のひとりです。
先日、北鎌倉駅近くの、鎌倉古陶美術館前を通りかかりますと、”小島寅雄展”が開催されているのに気づきました。ボクは、別の目的地に向かっていたのですが、躊躇なく入館しました。
そういえば、小島寅雄さんはこの、すぐ近くのお住まいでした。浮き世の煩悩を消しながら、百八つの石段を登りきったところ、円覚寺の前の山の中に我が家がある、とゆう彼の文章を思い出しました。ここの小さな13坪の家にご夫婦で晩年をすごされました。
簡単に履歴を紹介しますね。鎌倉に生まれ、師範学校を卒業後、教職を経て、鎌倉市図書館長、教育長、鎌倉市長などを歴任しました。引退後は、若いときから敬愛していた良寛さんのような生活をと、得度までされ、また、皆に推され、全国良寛会会長になられた方です。
会場に入ると、たちまち小島寅雄ワールドに魅了されてしまいました。ほのぼのとした野仏の絵、そしてほとけさまの横に書かれた、これまた、ほのぼのした字体の書。”色即是空””日々是好日”などの仏語のほか、こんな、ご自分の詩もありました。
「なまけるな おこるな いばるな あせるな くさるな おごるな」
「じひして じひをしらぬとき 仏 というなり」
「朝焼け 小焼けだ 大漁だ 大羽鰯の大漁だ 浜はまつりの ようだけど 海のなかでは 何万の 鰯の とむらい するだろう」
昨日、図書館に寄って、改めて、十数冊もある小島寅雄さんの本をながめてきました。その中のひとつ、野ほとけの絵本のような「野仏巡礼」の序に、友人の瀬戸内寂聴さんの文章があり、それに、はたと目がとまりました。さすが、作家はちがうと思いました。ぴたりと小島寅雄さんをいい当てているのです。
「絵は私の念仏」といわれて、毎夜毎夜、仏さまを描きつづけていられる小島寅雄先生の仏画は、清浄の心を持った人にしか描けない、この世ならぬ清らかさとあたたかさをたたえていらしゃる・・・どのお顔も縹渺として清純で、けがれを知らぬ嬰児のようにあどけない。それはそのまま小島先生のお心の証しであろう
先日、北鎌倉駅近くの、鎌倉古陶美術館前を通りかかりますと、”小島寅雄展”が開催されているのに気づきました。ボクは、別の目的地に向かっていたのですが、躊躇なく入館しました。
そういえば、小島寅雄さんはこの、すぐ近くのお住まいでした。浮き世の煩悩を消しながら、百八つの石段を登りきったところ、円覚寺の前の山の中に我が家がある、とゆう彼の文章を思い出しました。ここの小さな13坪の家にご夫婦で晩年をすごされました。
簡単に履歴を紹介しますね。鎌倉に生まれ、師範学校を卒業後、教職を経て、鎌倉市図書館長、教育長、鎌倉市長などを歴任しました。引退後は、若いときから敬愛していた良寛さんのような生活をと、得度までされ、また、皆に推され、全国良寛会会長になられた方です。
会場に入ると、たちまち小島寅雄ワールドに魅了されてしまいました。ほのぼのとした野仏の絵、そしてほとけさまの横に書かれた、これまた、ほのぼのした字体の書。”色即是空””日々是好日”などの仏語のほか、こんな、ご自分の詩もありました。
「なまけるな おこるな いばるな あせるな くさるな おごるな」
「じひして じひをしらぬとき 仏 というなり」
「朝焼け 小焼けだ 大漁だ 大羽鰯の大漁だ 浜はまつりの ようだけど 海のなかでは 何万の 鰯の とむらい するだろう」
昨日、図書館に寄って、改めて、十数冊もある小島寅雄さんの本をながめてきました。その中のひとつ、野ほとけの絵本のような「野仏巡礼」の序に、友人の瀬戸内寂聴さんの文章があり、それに、はたと目がとまりました。さすが、作家はちがうと思いました。ぴたりと小島寅雄さんをいい当てているのです。
「絵は私の念仏」といわれて、毎夜毎夜、仏さまを描きつづけていられる小島寅雄先生の仏画は、清浄の心を持った人にしか描けない、この世ならぬ清らかさとあたたかさをたたえていらしゃる・・・どのお顔も縹渺として清純で、けがれを知らぬ嬰児のようにあどけない。それはそのまま小島先生のお心の証しであろう