気ままに

大船での気ままな生活日誌

お十夜 

2007-10-15 10:13:39 | Weblog
映画「不都合な真実」を観たあと、とくに不都合なことがありませんでしたので(自由人ですので、うふふ)、500年も続いているとゆう伝統行事、十夜法要(お十夜)を材木座の光明寺まで観に行きました。

20数分歩いて、お寺に近くなると、バス通りにお祭りらしい雰囲気が出てきます。植木市や”お十夜名物、ゆで栗”の旗をたてた出店とかが目立ってきます。山門までくると、夜店(このときはまだ昼店ですが、笑)がずらりと並んでいるのが目に飛び込んできます。さらに、山門をくぐると、あの広い境内が、所狭しと出店で埋まっています。いつもみかける、野良猫ちゃんはどこに行ってしまったのでしょう、一匹も見当たりません。

本堂前には、六角の大きな角塔婆が立っていました(写真)。この上部から、白布で編んだ綱が本堂の阿弥陀如来さまの御手とつながっています。”善の綱”と呼ばれています。参拝者が握る綱は、このときはまだ横の桜の木の枝に掛けられていましたが、夜には下ろされ、参拝者が次々とこの綱をにぎり、阿弥陀如来さまと間接的に「握手」をしていました。

このお十夜は平安時代に唐から比叡山に伝わり、のちに後花園天皇が京都の真如堂(紅葉がきれいだったな、また行きたいな)に伝えたものだそうです。十日十夜、念仏を唱えれば、極楽で1000年修行したと同じことになるのだそうです。

3日間、いろいろな式典が行われますが、この日、ボクは5時から7時ぐらいまで、大殿説教、初夜法要、稚児礼賛舞を本堂で見学させてもらました。お説教といっても、怒られるわけではなく(笑)、結構、面白いお話でした。ボクが今、市民講座で勉強している平家物語の講義のようでした。それもちょうど講義と同じ時代の話でした。法然上人は、生涯たった1日だけ、ある修行(よく覚えていない)をしなかった日がありましたが、その日が木曾義仲が京都に攻め入った日なんだそうです。法然上人はそういう戦乱、飢饉の時代に修業をつんだ方ですので、争いを嫌い、平和を愛する仏教(浄土宗)を広めたのだとゆうことでした。

稚児礼賛舞は近くの小学校の女生徒たちが、おそろいの衣装をつけ阿弥陀如来さまの前で踊りを披露しました。今日のハイライトでフラッシュが飛びかっていました。とても可愛いらしかったです。

帰る頃は、夜店はすっかり本当の”夜店”になっていました。すごい人出になっていました。昔は小田原方面から、三浦半島一円からと、たくさんの参拝者があったそうです。現在でも地元の人に愛さている行事であることがよく分かりました。きっと、地元の学校の卒業生は、お十夜で仲間たちと会うのを楽しみにしているのだと思います。今日は幾人もの友達に会ったよ、とゆう嬉しそうな声を耳にしました。

屋台で、おでんとお酒をいただいてから、光明寺をあとにしました。ワイフの好きな、ゆで栗を買って帰ろうかと思ったのですが、ずいぶん大きな包みでしたので止めました。これ以上、メタボ体型になられると困るので(汗)。
コメント
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