気ままに

大船での気ままな生活日誌

春めきて 宝戒寺

2008-02-21 18:10:23 | Weblog
今日はまるで桜の花見頃の、春めいた陽気でしたね。鎌倉駅近くの映画会をみにいったついでに、宝戒寺まで足を延ばしてみました。ワイフが、あそこの福寿草と枝垂れ梅の名木をみてみたいと言ったからです。今日は映画も散歩もワイフ主導です。

宝戒寺の境内に入ると、すぐ福寿草の、それも満開の黄色い可愛らしい花が目に入ります。1週間ほど前、まだ開きはじめの福寿草をフラワーセンターでみましたが、満開のは今日が初めてでした。そして、それが境内のあちこちに、大きな石やお地蔵さんのそばに、黄色い陣をはっていました。




枝垂れ梅も咲き始めていましたよ。3分咲きぐらいですが、ボクは、梅はこの程度のが好きです。十分楽しめました。



今日の映画も、この陽気のように春めいた、ほのぼのした、いい映画でしたよ。”かもめ食堂”という映画でしたが、また後ほど紹介したいと思います。
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光琳・乾山兄弟 in 熱海

2008-02-21 10:48:34 | Weblog
ボクは熱海に行くと必ず訪れるところがあります。MAO美術館です(す、すみませんMOA美術館です、真央ちゃんが好きなもんでつい)。とくに梅の季節には、光琳の”紅白梅図屏風”展示されるのでいつも楽しみにしています。

何度も観ている作品ですが、そのたびに新たな感動を与えてくれます。その日は間近で観る時間を多くとってみました。一つひとつの梅の花が、たくさんのおしべまで心をこめて描かれいるのが分かります。そして、老木の幹にこけむす、苔類や菌類のようなコロニーの一つひとつも、実にていねいに描かれています。おまえたちも梅の花に負けないくらいうつくしいよと思わなければ、こうはていねいに描けません。加えて、川のさざ波の一つひとつの波も、実に愛情込められて描かれています。きっとボクと同じで、波も生き物だと思っているのでしょう。

これだけ愛情が込められれば、画中の梅も生き生きしてきます。まるで人のようにみえます。とくに右側の紅梅はスケート靴を履いた真央ちゃんがイナバウアーしているようです。大笑いして反り返っているようにもみえます。左側の白梅も人のようです。昨年、レオナルドダビンチの”受胎告知”を鑑賞したときにマリア様のうしろの木々が受胎を祝福している人々のようにみえました。きっと魂が絵に込められると、絵の中の木々にも魂が宿るのではないでしょうか。

この日は特別展として”乾山の芸術と光琳”が開催されていました。乾山の作品をこんなにたくさん一同に観たことはありませんでしたので、とても嬉しかったです。修業時代、鳴滝時代の初期、光琳との合作時代、二条丁子屋町時代、そして81才までの最晩年の江戸入谷時代と、年代別に作品が並べられていて、”ある男の一生”を観るようで楽しめました。初期のしぶめの銹絵もいいですが、庶民のために大量生産した二条丁子屋時代の色絵ものもよかったです。晩年の作のも、自由気ままな、ゆらゆらした文様も、今のボクの気持ちを形象化したようで、気に入りました(笑)。ふと、北鎌倉の6世乾山と親交があり、大船(山崎)に窯をもっていた魯山人を思い出しました。魯山人は乾山を高く評価していましたが、この展示をみて、共通点もあり、なるほどと思いました。

常設展でお気に入りをみつけましたよ。中国南宋の龍泉窯の”青磁鎬(しのぎ)文椀”、銘(あだなのこと)は”年忘”です。径15センチぐらいの、深めのお椀ですが、色がうつくしいスカイブルー(故宮博物院の汝窯の青磁を観て以来、この色に弱い)、形もおっとりして、模様も二重の蓮弁文の浮き彫りとおとなしめ、すっかり気に入ってしまいました。隣りに姉妹のように並んで似た青磁のお椀も良かったです。浅田舞ちゃん、真央ちゃん姉妹のようでした。こんな可愛いお椀をみたあとでしたので、いつもは、なでまわすように眺めていた野々村仁清作の”色絵藤花文茶壺”はさらっとしかみてあげませんでした。

トップ画像は、MOA美術館の庭園内の尾形光琳屋敷です。

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以下に、翌朝の熱海の浜辺散歩でみた風景写真も。










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