気ままに

大船での気ままな生活日誌

一家に遊女もねたり萩と月

2008-05-18 05:54:36 | Weblog
”一家(ひとつや)に 遊女もねたり 萩と月”(芭蕉)
ボクの好きな芭蕉の句のひとつですが、ボクは今まで、本当に芭蕉が小さな家に遊女と一緒に雑魚寝をしたのだとばかり思っていました。もちろん色っぽいことはなかったとは思ってはしましたが(笑)。ところが、これはどうもつくり話らしいのです。

この句は”おくのほそ道”の越後路を下り、おやしらず近くの”一振(いちふり;地名)”あたりで出てきます。宿の一間へだてた部屋から女の話し声が聞こえる、話の内容から越後の国、新潟の遊女がお伊勢参りに旅立つらしい、翌朝、その遊女から涙ながらこう懇願される、連れの人が帰り、これからのひとりの旅路、心細いので道連れしてくれませんかと、しかしわれわれはところどころ泊まりゆく旅なのでと、そうはできないと遊女を見送る、”哀れさしばらくやまざりけらし”そのあとにこの句が出てくるのです。

”一家(ひとつや)に 遊女もねたり 萩と月” そして”曽良にかたれば、書きとどめ侍る。”と追記が。

”おくのほそ道”の旅には曽良が同行し、芭蕉の生活上のめんどうをみています。そして、曽良は”曽良旅日記”として克明に毎日の行動を記しています。ところが、この日記には、その日の出来事が何ひとつ、遊女の姿のかけらも出てこないのです。”曽良にかたれば、書きとどめ侍る”までうそだったのです。

”おくのほそ道”は純粋な旅日記ではありません、一部創作が入っています、これも、明らかなつくり話です、と先生が説明してくれました。紹介が遅れましたが、先生とは、近くの女子大の市民講座の講師をされている、大輪先生のことです。先日、”おくのほそ道”の新学期が始まったのです。とても面白くて、去年から3期つづけて聴講しています。

芭蕉はもともと俳諧(連句)が得意で、”おくのほそ道”も、そのスタイルをまねている、のだそうです。連句には、いろどりを添えるため必ず、中程の句に女の姿を入れるのが常識だそうです。それで、ここらあたりでと、色っぽい遊女の姿をみせたのでした。前半でも、”かさね”とゆう少女の姿が現われます。”おくのほそ道”を巻物にして、ふたつ折りにすると、かさねと遊女が重なる位置にあるそうです。計算づくだったのですね。ついでながら、かさねの句も印象に残りました。那須で馬を借りたときについてきた少女の名前をきくとかさねだという・・聞き慣れぬ名のやさしければ、”かさねとは 八重撫子の 名成るべし (曽良)”。(かさねという可愛い名前なのだから、花なら八重撫子の名であろう、曽良とあるが、実際は芭蕉である場合が多いとのこと)

一振の前の”越後路”の日記が極めて簡略なのが(ほとんど何も書いていない)、おくのほそ道、最大の謎だそうです。越後での滞在がたいそう不快だったという説もあります。前述の曽良旅日記によれば、紹介状をもっていったのに宿泊を断られたり、いやな顔をされたりしたことが、越後で何度か、あったようです。越後の人は不親切なのでしょうか(笑)。でも、ここで芭蕉の代表句ともいえる句を載せています。

荒海や 佐渡に よこたふ天河(あまのがわ)

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2時間の講義(ワイド版文庫本1~2ページ分)だけでも、こんなに面白いことがいくつも出てきます。今後も講義のたんびに、紹介していきたいと思いますので楽しみにしてください。

トップ写真は、”一家に 遊女もねたり 萩と月” に因んで、数日前にもう咲いていた、円覚寺松嶺院の雲南萩にしました。

。。。。。

昨晩の稀勢の里、痛恨の黒星。それにしても琴欧州、どういうつもりでしょう、また、立ち会いの変化です。 今場所はからだがよくうごくって?・・・

今日は白鵬戦。白鵬はまともに当ってくれると思います。熱戦楽しみです。











コメント (2)
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